2022年1月31日月曜日

あ、あ、サイボーグ009♪

僕が脳出血で倒れて文字とおり倒れたわけだけど手術が終わって左手左脚が動かせなくなっていた、その時はまだ事の大変さが全く理解できていなかったからそれほど深刻には考えていなかったびりしかしリハビリがはじまって、昔は無意識に動かせていたものが動かそうと意識してもイメージしても動かないことを悟ることになった、そして、リハビリでは疾患と手術で失われた脳の部位にあった機能を脳のほかの部分が代替するようになる訓練であると聞かされ、もう一度0才児のように学習するんだとわかった。その時僕が思ったのは手や脚を動かすコマンドを脳にダウンロードしたいということであった。実はすでに、世の中では、失われた身体機能や認知機能などを機器を使って回復させる医療技術が開発され使用されているのである、テレビでは、脊椎損傷で麻痺した両足を人工神経接続という技術で動かしている映像などが紹介されていたその番組はサイボーグがテーマであった、そういえば僕はリハビリの中で、右手を動かす神経の電気信号を左手に流すなんていうことも経験した、残念ながら思ったようには動かなかったけどね、それは人工神経接続といった先端技術ではなく、スマホくらいの大きさの低周波治療機だったけどね、でも、恐らくそのリハビリはお試しくらいの感じだったのでしょう。リピートしなかったからね。リハビリは常に、人が触って介助を受けながら動きを学ぶというオーソドックスなものが主流だったね。どうやら先端医療研究の領域ではサイボーグは夢物語ではないらしいさて僕がサイボーグと聞くとサイボーグ009だ。石ノ森章太郎さんの代表作だよね、サイボーグとなり人間をはるかに超越した主人公たちの役割は戦うことであった、恐らく人間をサイボーク化する技術はAI(人工知能)同様常に軍事利用と裏腹なんだろうね、

なぜ人間は、人間を武器化したり、武器を人間化することに積極的に知恵やお金を注ぎ込むのだろうね?不思議だけど、漫画家がサイボーグをイメージしたときにそれを戦力と躊躇いなく設定させてしまったものはなにだったのだろうか。誰かより強くなることは誰かを打ち負かすこととイコールじゃないはずだけどね。中途障害者のぼくにとっては人間を人間化するために知恵やお金を注ぎ込んでほしいと切に願うのである。

 




この人もジョー

2022年1月30日日曜日

どこにでもあるキャリアドリフト

 僕はまだりはびりの途中だ急性期、回復期は超えたけど今は維持期になっていて集中して急速に回復するフェーズではなく時間をかけてゆっくると回復するフェーズである。だから、週に3回の訪問リハビリと、家で入浴できないのでデイケアの入浴サービスを週に2回利用しているそのデイケアで入浴の介助をしてくれた人と少し身の上話をする機会があった、その若い女性は韓国出身の方であった、いつから福祉の仕事をしているのか聞いたところかつては福祉とは関係のない普会社に勤めていたのだそうなひょんなことからその会社をしることになったのだけどそこは大手の旅行業者であった。そしてその人は今またキャリアチェンジのタイミングに差し掛かっているらしいなんと今度はITデバイス関連の研究職とのこと、もともとそういった研究のをしていたらしい。しかし日本に来ることになり言語の不安もあったので研究の仕事ではなく旅行会社に就職したらしい、ではなんで日本に来たのかといえば日本のビール(スーパードライ)が大好きだったそうな実際はどういう経緯葛藤をもってキャリア選択をしたのか詳細はわからないけどなかなか面白い話だよね。韓国で研究職(もしくは勉強)→ビール→来日→旅行会社→福祉→研究職とスキルの幅を広げる回り道をしながらもコアに保有するスキルの道へ回帰したということかしらん。リハビリ病院で実習していた理学療法士さんは、介護の仕事をしていてその中で療法士へのステップアップを図っていたわかりやすいキャリアプランだったけどデイケアの彼女の場合はキャイアプランよりも就労機会を優先していたのかもしれないね、まあ、諸般の事情による偶然の回り道だとしたら、その偶然性が今後の研究の仕事の中でどう活きてくるのか興味は尽きないね、まあどんなことでもやってみようとする行動力、意欲は間違いなく研究の中でも活かされるだろうけどね。これからの時代、複数の専門性や越境は活躍の前提になるだろうからきっと活躍して、他の人が思いつかないようなデバイスを世の中に送り出してほしいものだね。


未来が楽しみ

2022年1月29日土曜日

組織と人間散逸構造と技術と資源のパラドクス

 僕は工業化社会の進展における生産性の向上は技術の発展ではなく主に組織という協働形態によってもたらされたものであるという僕の師匠故青沼吉松教授の洞察は非常に的を射ていると考えている。では技術(自然科学での発見も含めて)の革新は社会に何をもたらしたのかといえばハイデガーの言う通り、人間を自然の利用に駆り立て人間も含め目にみえるもの全てを利用可能な資源と捉える世界観を広く世の中に普及させたことであろう。つまり、技術の進化は直接的に生産性を向上させたのではなく人も自然も生産性向上のために最適化可能な資源であるという前提を協働する人々の間にうえつけたのである、僕はバブル経済が始まる前に銀行で働いていた。当時銀行はすでにオンライン化が進んでいたのだけど、僕が働く中で情報技術が飛躍的に生産性を向上させている事実を見ることはなかった。むしろ恐ろしいほどの労働集約とサービス残業で地獄のような協働によって生産性を絞り出した結果泡沫の生産性向上を生み出していたのが現実である。新型コロナによってDXデジタルトランスフォーメーションが語られるようになったけど、もし技術が生産性を向上させるものであれば、新型コロナのパンデミックに関わらず。事業活動における長時間労働やイノベーション不在の問題はデジタル技術によって解決されていたはずだ。

つまり僕たちは技術は企業間の競争や資源の乱用へ僕たちを駆り立てるものであって、生産性の向上に役立つものではないことをしっかりと認識すべきなのではないだろうか、実際DXが進展すれば最適化が進む資源ははitと電力と組織力という人的資源なのである。人的資源のモチベーションを高めイノベーションを促すつまり協働における時間的拘束の強化から結果志向の質的な強化がおきるのである。そのような状況の中で人間は組織や技術とどう関わっていけばよいのだろうか、

個人が生産性の観点で組織と合意してしまうと、生産性をどうあげるのかが個人の価値基準になってしまうだろう。個人は生産性とは異なる次元の価値観で組織に惹き込まれる必要があるだろう。僕はそれは組織の散逸構造化だと思う組織は生産性の向上を目的とした協働の形態から個人の熱量が集まり散逸する中で生まれる秩序構造となるのである。それは生産性ありきの構造としての組織ではない。

そのためには個人は協働可能な多様な価値観を保有することが望ましいだろう。

一方技術が進化した社会こそが今日の持続可能性の課題を招いた事実からも個人は目をそらすべきではないだろう、つまり技術ではない方法で僕たちは自然の資源化の問題を解決するしかないのだ、技術で資源化の問題を解決しようとすると、余計資源化を招いてしまうという、技術と資源のパラドクスがそこにあるのだ

ありのままの自然や自分を受け入れることからはじまることかもしれないね。誰もがありのままに受け入れられる社会こそが技術的な進歩により資源化が進むパラドクス世界の対局にある社会観なのであろう。


2022年1月28日金曜日

病院ラプソディー

 僕は今日8ヶ月ぶりに病院に行った

今回の脳疾患ではなくもともと持病であった内科の受診のためである。僕が以前通っていた都立病院は患者も多くいつも通りの賑わいであった。

しかし以前と違って僕は車椅子だからトイレやら何やらがここ数日はずっと気になって仕方なかったのだ。車椅子で入れるトイレはあったかなぁとか途中でトイレに、行きたくなったらどうしようかなとか考え出したらキリが無い。あまり、先のことを思い煩わないようにしようと切り替えてはいたけどね。中途障がい者になってみて外出時のトイレ問題はかなり深刻であることがわかった、設備と場所の問題だよね。そう考えると家が一番安心である。だから積極的に外に出たいと思えなくなる。そうして自然と引きこもり型の暮らしになるのでしょう。やはりリハビリを頑張って杖で外出できるようになるしか無さそうだなぁ。通院で改めてリハビリのモチベーションがあがる僕なのである。




2022年1月27日木曜日

人生は音楽だ

 人生を楽譜のように表現する――未来は現在の状態にのみ左右される。

これは今僕が読んでいる本に出てくる一節なのだけど。この内容に僕は100%同意できた。僕らの世代では有名なタワーレコードのスローガンno music no lifeであるが、lifei as the musicということになるのかな。人生にも音階のような高さがあるし。長調や短調と言った曲調もある。スピードもあるし、和音もあるハーモニーもあれば、転調もある。メロディやリズムで考えると自分の人生を客観的に見ることもできるし、既存の楽曲に自己を投影することも可能だ。だから人生を楽譜で表現するという発想に全く違和感がないのだ。実際それに近いアウトプットを考えたこともあったしね。




2022年1月26日水曜日

あの頃の気分

 昨日NHKアナザーストーリーズはあしたのジョーだった。僕は子供の頃テレビ漫画を欠かさず観ていた記憶がある、巨人の星も同じようなじきだったけど僕は野球も巨人もそれほど好きじゃなかったのか、「あしたのジョー派であったように思う僕は育ち的にジョーのような苦難の経験は全くない絵に書いたような中流の家庭で成長期にあった社会経済の恩恵を十分に受けていた要するに苦労知らずである。そんな僕がなぜジョーに惹かれたのかと言えば、とにかく格好良かったのである。纏っているオーラがね。番組を観ていて気付いたのはあしたのジョーが生まれて連載されていたのは1968年~1970年頃学生運動が大きな潮流となっていた時代背景があったのだね。僕はきっと体制派の安心な環境から当時の騒乱をながめていたのだ、そうまさい漫画あしたのジョーを観るようにね。j時代の暗い影みたいなものは怖い別世界の出来事のようだったね。それはひょっとしたら巨人の星も同じだったのかもしれない。さて、僕が先日書き写した大学時代の師の本のはしがきは1968年1月30日であった、


そう考える。と大企業の組織と人の問題に師が目を向けていたのはまさに当時の時代背景が大きかったのかもしれないし、大学時代に僕がそこに興味をひかれたのは、あしたのじょーや学生運動を多感な頃に眺めてきたせいなのかもしれないね。体制側の恩恵を十分に受けているにも関わらずどこかで反体制、自由であることへ価値を持ちたい自分が居たのかもしれないそういった気分性は今でも僕の中に間違いなく潜んでいる僕の好きな映画や番組そして、音楽を考えるにコンサバな価値観というより何処かリベラルで個が尊重される匂いがするものだ、弱者が強者に打ち勝つストーリーはなぜか僕の感性にフィットする。時に僕の中ある、劣等意識と共鳴してそれを浄化(カタルシス)する役割もはたしているのだ。だから僕が組織と人間と言う時に組織は強く個人は弱いと言うアンコンシャスバイアスが掛かっているかもしれない。しかしこれは組織観として正しくないだろう。だから僕は組織と人間のより良い関係性の実態を知っていきたいしそこに至る過程を可視化したいと願うのだ、あしたのジョーの美学抜きでね。



2022年1月25日火曜日

目下の悩み

 僕はどうしてもデイケアというサービスが肌に合わない、この前は運動して、立位が取れない歩行も出来なくなってしまうなど僕の身体にも合っていないようなのだしかし、デイケアに来ないとお風呂に入らないので致し方ない。そこでお風呂以外の時間は僕の好きなように過ごすことにした。

中途半端で、フォローのない運動は行わないし。脳トレのナンプレとかもやらない。そのかわり。ニンテンドーDSを持ち込んで脳トレを行い。iPadを持ち込んで読書に勤しんでいる。家で本を開くともれなくルイちゃんが膝に乗ってきて本が読めないのだけど、デイケアではじっくり読むことが出来る。ぢ、古いiPadなので、kindleを買うか、iPadを買い換えるか悩ましいところである。デイケアの時間を有意義に過ごすにはどっちが良いか悩みどころなのです。



悩みまつ。


2022年1月24日月曜日

人生も仕事も借り物競争

 熟達化研究の小樽商科大学大学院 松尾睦さんは仕事に対する信念(価値観)を新人時代は上司先輩などの信念の影響を受ける借り物の信念であると表現している。僕は借り物であってもそれによって行動がかわるものであればそこには学習が発生しているのではないかと考えている借り物と言えば小学校の運動会の定番借り物競争だよね。指定された物品や人を探し出していち早くゴールまで運べば勝ちというやつである。速さだけを競う普通の徒競走と違うのは自分の能力だけでない何ものかを帯同することである。よく考えてみたら僕たちの日常は借り物に溢れている。私有している所有物は借り物じゃないけど。本来の自分が生み出したものでは無いものと考えれば借り物とも言える衣食職住全て自給自足の7自前で行っている人など居たとしても極めて少数だと思われるので借り物が溢れているとひょうげんしたのだ、洋服にしても機材にしても着こなしたり、使いこなす過程を経てじぶんのものになっていくわけだけど仕事の熟達における信念も同じようなことかもしれない。最初は他者の信念を纏ってしかし時間とともにそれを着こなして自分の服になっていく。やがてはその服を誰かに貸せるようになるわけだね。逆説的になるけど借り物をする主体自分がそこにはなくてはならない。洋服が自律的に社会生活をおくるようになりわけではないからだこれはAIの議論とも通じるものだろう。昨日取り上げた大谷翔平選手も父親透さん。佐々木監督の信念を纏いそれを自身の一部としていったわけだけど。」ベースには無垢の大谷翔平がいる。これが真の自己という概念だけど。真の自己は様々な信念を纏いながら更新されていくものである。素晴らしい肉体があればこそ素晴らしいい洋服が似合うわけで素晴らしい洋服を着る他事で肉体にさらに磨きがかかる、そういう相互作用によって、信念と主体はコヒーレントに向上、成長していくものなのであろう。では、そもそも無垢な主体には信念は無いのだろうか、僕はそんなことは無いと思う。本能や感性といったものが生まれた時からその人の信念として働いているのではないだろうか。何を信じるかに正解は無いじぶんにとっての正解を与えるのが当初は本能や感性なのである。そこに、借り物の信念を纏うことで借り物の信念に沿って正解をみちびけるようになり、その正解によって、一貫性がある行動がとられて祖母人らしさが生まれるわけだね。無垢な主体が保持する信念的なものを気質と呼んだりもする。その気質に高質な借り物の信念を纏った時に素晴しい化学反応が起こるのである。心理学クロニンジャーは気質は神経伝達物質の分泌と代謝によって先天的に定まるとしたけど。それが本当かどうかはわからない。還元主義的に、少ない要素で理解できるほど人間は単純じゃないとても複雑な存在だ。しかし、世の中に物質や情報があふれるようになって借り物競争の様相は一変した誰もが超一流の信念を書籍を通して借りられるようになったし、素晴らしい信念を持つ人と出会う機会も増えている無垢な主体でる自分を探すより、良い借り物を纏って、自分の信念をアップデートしていった方がよいこれは養老孟司  さんが著作「自分の壁」の中でのべていることである。そして好奇心の強さは借り物競争で勝つための優位なせんりゃくなのだ。フォークランド諸島のゼェンツーペンギンはその好奇心の強さで生存競争を有利にしているらしい。つまり好奇心は可能性の扉を開く力があるということだ。世の中ではシェアリングエコノミーにも広く関心が高まっているけど僕は物品や資源ではなく無垢な主体をアップデートする信念こそシェアすべきなのではないかと考えている



無垢な主体

2022年1月23日日曜日

大谷翔平の才能と成長

昨年大谷翔平選手はメジャーリーグMVPと名実ともに最高の活躍をした、先日NHKでメジャーリーガー大谷翔平という番組を放送していた。そして。僕は道開く海渡るという大谷本を読んで立体的に大谷翔平像をイメージしている。

そのうえで改めて録画した番組を見返して確信的に思ったことは恵まれた体格などの才能も当然あるけれども一番思ったことは父親透さんの指導を受けていた小学生の頃から一貫している野球に対する姿勢の素晴らしさである。

自分で感じているところと実際に数値であわられているところとどういうギャップがあるのかなというところが一番大事のことと父親の透さんが何度も翔平少年に伝えていたことがある。(放送より)

一生懸命元気に声を出す。

一生懸命キャッチボールをする

一生懸命走る

本当にしっかり一生懸命やれば必ずよいことがある、

ごくごく誰でも出来ることを中心にその3つがあるとすれば3つを地道にじっくりやっていけさえすれば成長するのではないか。野球に対する姿勢を大切にした透さん。の教えを本当に忠実に今もってしかも自分の信念としていることである。大谷翔平とは父親の信念がまさに結実し成長を遂げた姿なのだ。もちろんそれを体現した本人が一番素晴らしいのだけどね

以下は番組の中で大谷翔平選手が自ら語ったことばである。

1回2回やったからといってすぐ良くなるというものではないので長い間続けて行って違いに気付いたりとかもっとこうすればうまく投げられるのかなというのをちょっとずつ気づくのかなと思います。

やれば誰でも出来るものなので続けてやるのは大事かなと思います。

難しいことに挑むのでなく誰でもできるある意味地味なことをひたすらやりつづけて成長し誰も成し得ないようなむずかしいことをやり遂げる大谷選手はまさにその実証実験であるかのようだ。発達心理学でいわれるような発達課題を乗り越えて段階的に成長するというモデルよりももっとシンプルでより実践的な効果的な成長観がそこにはある。僕は大谷選手はまさに成長のロールモデルだと思うのだ

大谷本の中では、高校卒業時に大リーグを目指した際のエピソードがかいてあったけど・大リーグのスカウトは大谷選手はの投げるところ以外をみたかったのだそうだ、そのためにこまめに高校の球場に脚を運んだそうである。恐らく才能とは誰が観てもわかるものであって一方、可能性や将来性成長力は才能とは別次元むしろ才能が発揮されない場面にあらわれるものなのであろう、


脚光を浴びなくても怠けず繰り返して継続していくことの大切さが大谷選手はの未来を拓いていたのだね。大谷翔平選手は高校1年のときに作った目標管理シート(有名なマンダラチャート)に実はこの要素を書き込んでいて。運と人間性という目標カテゴリーの構成要素にしているのだ。父親の指導を忠実にかつ着実に自分のものとして実践し続ける優れたものを謙虚に学ぶ姿勢が高校での佐々木監督という優れた指導者との出会いでも生かされ高校時代とその後の成長の大きな原動力になっている。僕は成長にはいろいろなモデルがあると考えてているけど。大谷選手は間違いなくその1つであろう。

さて、誰でもできることをしっかりやらせようとするのは大谷選手の父親透さんに限った話ではない。胃炎勤務していた会社の同僚はお子さんが少年野球をやっていたけど。子供が声をださなかったり全力ではしらなかったりした、時はかなりきつくしかっていたようだった。要するに一般的な指導であったも言えるものかもしれない。ではメジャーリーガーになってまでも誰でも出来るものなので続けてやるのは大事かなと思います。と本人をして言わせるものは何なのであろうか。それはきっと経験をつうじて獲得した、自信や形成されたパーソナリティにポイントがありそうだね


あまりにも有名なもの

出典:スポーツニッポン

2022年1月22日土曜日

豊かな社会考

僕は豊かな社会と は、多様な報酬がもたらされ得る社会のことであり物質的に豊かで「働かなくてよい社会」ではないと考えている。もちろんその中には内的報酬も含まれる僕はこれまで何回も遊びに関するエリスの定義をその活動そのものに内在する報酬を求める以外に、どんな動機によっても動機づけられない。いんようしているけど遊ぶこと自体も報酬なのである。だから金銭的な報酬が少なくとも、遊ぶように仕事が出来る社会であればそれは豊かな社会であるということになる。愛されることも報酬であれば愛することも報酬である好奇心が強い人にとってみればより多くの関心が持てる社会は豊かな社会であろう。本が大好きな人にとってみれば大型書店はまさに豊かな社会の実像だし。たとえ小さな書店であっても並んでいる本がより強く感性に響く、本であればそれはとても豊かな社会である。つまりすきなものに囲まれることは豊かさを実感できる瞬間なのである・本でなくても、音楽でも、絵画でも、料理でもお酒でもアイドル良いもちろん人であっても良いのだ、少し考えればわかるけど。それらは何か報酬をくれるわけではない、自分に内在する報酬を得ているのだ。最近はやりの推し活もそうである。多くの推し活があることは要するに豊かさとは自分の外側にあるものでなく内側にあるものなのである。それが最も象徴的なタイミングは今際の際に良い人生だったと感じられることだろう。世の中どこまでいっても理不尽さを拭い去ることは出来ないけど唯一誰にでも死は平等であるそして、死後の世界に何も持っていくことが出来ないのも平等だ。つまり今際の際に感じる人生の豊かさとは物質ではありえない自分に対して自分が与える報酬ということだよね。となるとそれは自分次第なのである。自分次第によって社会は豊かにも貧しくもなる。もちろん衣食職住など生きていくうえで最低限の欲求が満たされていることは豊かさにとって大切なことである、生き延びることが困難な環境で精神的豊かさがあれば豊かだと言うのは暴論でしかない。どのような状況でも豊かさを感じることは出来るだろうけどね。人が生きるのに厳しい状況下では信仰に救いを求めてきたのも忘れ難い事実である。だから人の豊かさを他者が規定してはいけないのだと思う。豊かさに正解はない。豊かでないと感じたらどんなに物質面で恵まれていても豊かではないのだろう。幸福感と似ているよね。結局は、何からも豊かさを感じられる感性を、持つことが一番豊かな状態であるということなのかもしれないね


実りは豊かさ。

2022年1月20日木曜日

アウトプットが苦手な

 クリエイティブなことが苦手と感じる人にはどのような心理があるのだろうか。

絵を書く料理を作るなにか新しいことを始めるそれらはいずれも正解があるわけではない。にもかかわらず取り組む前に苦手感を持ってしまう人は」少なくないだろう。

そこにはどのような心理がはたらいているのだろうか、

1,自分には出来ないという自己限定自信の無さ失敗への不安。結果に対する要求水準の高さ

2,過去の失敗体験による無力感の学習

3.トラウマ

自意識の強さと失敗への恐れ好奇心の無意味感といったところだろうか、でも、今の世の中コンビニの商品にしてもyoutubeにしても新しいものが溢れていて、誰でも案外、新しいものを毎日無意識に選択してはお気に入りを見つけ出しているのでこう今の時代インプットにおいて好奇心が弱い人というのは非常に少ないように思える。それに対してアウトプットの好奇心が弱い人は一定数居るように思える。クリエーティブなアウトプットが得意な人たちをみていると、自分の思いを形にすることに躊躇いがなくモチベーションがある。。まずは自分の中に思いとかイメージがあって、それをアウトプットのする内圧がが高いのだ。僕は内圧が低い人にはなんらかのトラウマがあるように感じるこうすべきだという意識とそれが出来ないことは良くないことだという意識が焼き付いているのかもしれないね、(自分を含めて誰かのアウトプットですごく嫌な思いをしたことがあって傷ついたとかだね、だからとりあえずアウトプットしてみようとはならない。あとアウトプットにやたら型をさだめたがる人たちが多いのも事実だろう。


躊躇いないけど知的財産権を侵害しているかもんね、

例えば僕がこのコラージュを作った時はまずいい感じで光射す犬の写真があって、フェルメールの絵みたいな感じだなと思ったところから始まっている。

2022年1月19日水曜日

キャン吠えするのはなぜ?

 訪問リハビリが、始まって定期的に療法士さんが家に来てくれる。すると。わがやのサッチモ。ルイちゃんは大騒ぎする。特に、療法士さんが帰る時が酷い。人間で言えば絶叫だ。これは近所迷惑だし療法士さんにも失礼なのでやめて欲しいのだけど。いやめて欲しいのだけどいかんともし難い。彼にしてみれば、ナワバリに他人が入ってきて出ていくのがきっと面白く無いのでしょうけどなんとかならないものかしら。

お願い落ち着いてください

2022年1月17日月曜日

リハビリゴーズオン

 線路は続くよどーこまでもーという歌があるけどリハビリも同じことである。どこまでも続く。急性期回復期維持期と身体機能が劇的に回復しない限りは徐々に回復を目指してリハビリが続いていく。リハビリは健康保険の対象だから、財源は社会保障費となる。政府は財源が厳しいから。出来るだけ社会保障費を減らしたい。リハビリはそのターゲットでえるらしい。だから、効果性の低いリハビリはどんどん減らす圧力が、かかっているのだそうだ。短期で効果のあがるリハビリは患者にとっても大きなメリットがあるから、政府の方針が良くないとも言えない。しかし、リハビリに時間がかかることは間違いない。どこかでよいバランスが取れると良いのだけどねぇ。維持期のリハビリが訪問リハビリ中心になるのはそういった背景があるらしい。

僕は今日訪問リハビリの日であった。杖を使った歩行で初めてマンションの玄関エントランスまで歩いたのだけど、十分な練習をするほど時間は無い。ただ歩くのとは違ってやはりいくつもの課題が、見えてくる。でもその課題を超えなければ、

外を歩くことはできない。しかし社会制度的にもゆっくりと向き合っていくしかなさそうである。

どうやら僕の毎日はゆっくりと生きることを体得する事であるようだ。

日々無心で生きましょう、

2022年1月16日日曜日

三尺さんじゃく去さって師の影を踏んでみる

三尺さんじゃく去さって師しの影かげを踏ふまず僕はずっと三歩下がってだとおもっていたけどどうやら正しくは三尺さんじゃく去さって師しの影かげを踏ふまずなのだそうです。僕は今日、師の本「組織と人間」を読んでいたしっかりと読み込みたいと思ったので。ただ読むのではなくはしがきを写経よろしくパソコンで打ち込んで師の影を踏んでみた、はしがきの日付は1968年1月30日と今から54年前である。半世紀前であるけどそこに記された問題提起は今でも通用するものであった。工業化社会における技術と組織の視点そして産業社会から組織からプロフェッショナリズムというこじんの問題へと問題の本質を深堀りして展開する姿勢は経済学部に居ながら経済学という学問にいまひとつ興味関心が深まらなかった僕にとっては大きな刺激となった。結果、僕は3年になるとき教授のゼミに入り、社会人になってからも、人と組織を仕事のテーマに据えたのだ。はしがきを書き移していたらなんだかあの頃の思いが蘇ってくるようであった。時代は当時想定されていた脱工業社会とは大きく様相が異なった高度情報化社会を迎えているそして様々な技術革新が起こる中で半世紀前から社会や産業組織の競争の主題が生産性や生産能率であることは変わっていないそのため、高度情報化を迎えたこからも、人材への教育投資、人材育成への要望は色褪せる事は無いだろう。

かくて教育の生産性重要性が協調され教育投資論が登場するに至る「青沼吉松著組織と人間」はしがきより引用

しかし、組織の中に人間の問題が出てくる企業ベースでの生産能率よりも人間福祉のための能率が重視される機運が運れてくる(引用同上)と師が絵半世紀前に指摘したていたが、人材を経営の資源として人材や人材の学習や成長という人間性を生産向上のための手段化する傾向は決して改善されているとは言えないのではないだろうか。

師の文章をあえて書き写す=師の影をあえて踏んでみることも時には有意義な発見がある

僕の中ではつながっている3冊

2022年1月15日土曜日

患者のプロになると言うこと。

 僕は6月15日に脳出血で緊急搬送されて手術を受けその後のリハビリ含めて6ヶ月を病院で過ごした。患者にプロもアマチュアもないけど。患者のプロとはかくあるべきか語る資格は十分あるのではないかと思う。僕はリハビリ含めて2つの病院に入院したけどいずれの病院でも、看護士療法士医師は皆国家試験を通った資格者でありその道の熟達者である。筋金入りのプロフェッショナルだ、それらの人の共通点は、高い職業意識と倫理感を持って自分がなすべきことを的確に行ってくれることである。一方僕は患者として高度な医療サービスをひたすら受けることになったわけである。プロフェッショナルに興味関心がある僕は、どのようにして。プロになったのかキャリア選択の動機含めて色々とインタビューもしてみた。

さて、僕は嫌われる勇気の著者岸見一郎さんの最高でなく幸福について語ろうを読んでいたら幸福は外に現れると言う一節があって。ご機嫌、丁寧なこと親切なことであると書いているこれは三木清の人生論のーとからの引用らしい。この幸福の表現は僕が今回の入院でお世話になった医療従事者共通の特徴でもある。一方で、僕と同時期に入院していた患者の中にはやたら不機嫌でどなりちらしたりしている人なども居た僕はそういうことをしなかったたけど、気になることはつたえさせてもらった。つまり患者のほうが幸福ではないわけだ。だからといって医療従事者が皆幸福かと言うこともできないだろう。しかしながら、不幸な境遇にいる患者を幸福にするプロフェッショナリズムがそこにはあったのだ。だから僕は同じ空間を構成する仲間としてリハビリ病院鉄道という表現を使ったのだ。幸福な空間を作る仲間としてね。

だけど僕は患者のプロとして幸福が外に現れなかったと思うそれは病気入院だから仕方がないよね。心配もかけたし多々世話もしてもらった。まあ、障害を負って自立出来ない僕はでき無いこと、困ったときはちゃんと助けを呼ぶのが患者のプロであるも言えるのかもしれないね。要するにプロフェッショナルとは相手が一番必要としていることを表現出来る人よいうことなんだろうね。



入院生活ももはや過去


2022年1月14日金曜日

億劫さとの闘い方

 身体が不自由になってやはり出来ることが限定されてしまうと何かをしようとすることが億劫になる億劫を検索してみたら以下のように結果が表示された。どうやら仏語が語源のようだね。億劫の劫は未来永劫の劫と一緒で時間のことなんだね。取り掛かるのにすごく時間がかかること。気持ちの上で葛藤もあって気が進まない様をあらわしているようだ。

おっ‐くう オククフ 【億劫】〔名〕 (形動)(「おくこう」の変化した語) わずらわしくて気が進まないさま。めんどうくさいこと。おっこう。*咄本・近目貫(1773)「そんなおっくうな事じゃない」

〔自ラ五(四)〕おっ‐こう オクコフ 【億劫】1 仏語。一劫の億倍。きわめて長い時間。→劫(こう)。*撰集抄(1250頃)一「さて今生もの憂てはせ過ぎ、悪趣に趣きなば、億劫にもあかりかたるべし」2 〔形動〕 たやすくすることがむずかしいさま。転じて、面倒で気が進まないさま。おっくう。*談義本・当世花街談義(1754)二「其の法と言は、殊外(ことのほか)おっこうにて中々むさと授けられぬものなれど」

今の僕は着替えるにしてもトイレに行くにしてもすごく時間がかかるそれを考えてしまうとまた手が気が進まなくなる僕はコロナで在宅になって結構料理を作るようになっていた料理などは材料を揃えるところから始め、食べた後の片付けまでいれるとるとかなり手間がかかるつまり時間がかかる、そもそも億劫なものである。料理をするようになって僕はそのことを良く知るようになった。僕が料理の億劫さに対処した方法は2つ、1つは僕が食べたいと思うものを作ること結果ハンバーグ、パスタなどの味のしっかりした肉料理が増えた、食べたいものを作るというのはとても良いソリューションだと思います好きなもの好きなことは時間の長さを変えるのはポジティブ心理学でフロー理論として説明されているよね。そしてもう一つの対処法はまったくオススメできない方法であるがお酒の力を借りるのである。お酒は億劫な気持ちを麻痺させてしまうのだ。億劫な気持ちだけでなく内在するストレスといった精神的緊張も弛緩させてくれる。これで飲酒が習慣化してしまうと所謂キッチンドランカーでアルコール依存症だよね。

依存までは行っていないと思うけど、結果僕の飲酒量は増えてしまい高血圧ストレスとともに今回の脳疾患の要因にもなってしまったらしい。

だから、結論としては億劫さに対処する方法は好きなことをすること。好きでないことをするときはその中に好きになれる要素を発見することなのである。


呑んで作って作って呑む悪循環


2022年1月12日水曜日

進化と成長



 昨晩のNHKざ、プロフェッショナルでは、京都西陣織の職人が取り上げられていた。進化を続ける伝統の織物という話であった。では進化と成長は何がちがうのだろか。

進化は今までに、これまでの西陣織になかったない新しい一面を、見せること。であった。一方でその職人がうまくいかなかった中で色々と考え新しいことへの挑戦を踏み出す例えば織物を、より深く知るために職場と異なる工房で知識を蓄えるというのは成長である。つまり織物職人としての一貫性を保ちながらそのレベルを高めていくのが成長で一貫性に留まることなく新たな一面を見せていくことが進化である。織物職人は成長しながら仕事では進化し続けるプロフェッショナルというわけだね。

でも考えようによっては僕たちは僕たち自身を織物のように進化させることもできる。番組の中で織物職人は伝統は革新の連続であるという革新はどちらかというと伝統の対義語と捉えられている実際ネットで検索しても伝統の対義語は革新である。その革新を連続させるのが伝統であるという考え方はかなり発想の転換があると言えるだろう織物職人がそのような境地に至る府プロセスはまさに成長である。そうすると経験や知識を積み重ねて新たな境地に至るのが成長で、これまでの蓄積には無かった新しい一面を見せることが進化と言えるのかも知れない。成長とは一貫性連続性があるもので進化は不連続の断絶性による刷新性新奇性が感じられるものなのかもしれないね。しかし織物職人のように進化を伴う成長成長を伴う進化もあるわけでそれほど明確に進化と成長の線引は出来ないのかもしれない。


2022年1月11日火曜日

持つべきものは友



 僕はあまり社交的ではない。fbでの友達も同世代に比べて多いから少ないかで言えばきっと少ない方だと思う。しかし今回病気になってみて、本当に友達はありがたいと思いました。頑張ってくださいと言う応援メッセージでどれだけモチベーションが上がったことだろうか。淡々とリハビリを繰り返す毎日で劇的に日々不具合が良くなるわけでもないのでモチベーションを維持するのは楽ではなかったもちろん退院して家に帰ること自体は強いモチベーションになったけどね。とにかく長いこと実社会から隔離されると忘れられていないと言うことが本当に嬉しいのだ。まさにリメンバーミーの世界なんだよね。インターネットのおかげで今は入院中でも友とすぐ繋がることは出来る、もし今がインターネット夜明け前だとしたら相当挫けていたのではないかな、色々とインターネットやSNSの弊害も取り上げられるけど色々な事情で社会から孤立した人々にとってインターネットやSNSは大いな救いになっている事実を見逃してはいけないだろう。そう言えばリハビリ病院で退院時にとっているアンケートで入院患者の要望は圧倒的にWiFi の整備だったらしい。さて、そもそも友達というのはインタラクティブな人間関係である。自分だけ友達宣言しても成立しないからね。FBであれば申請と承諾の関係性である。

世の中には誰とでも友達になれる人も居れば。誰もが友達になりたがる人気者も居る。僕はそのいづれでもない。けど頑張って友達を増やそうとも思わない。もちろん増やさない主義と言った偏屈さはない

まぁ成り行きなんだよねだからあまり社交的ではないと言うことなのかもしれないね。でも、本当にありがたいです。持つべきのは友とは良く言ったものだよね


友よありがとう



2022年1月10日月曜日

 僕たちは皆それぞれに固有の目線を持っている。それはその人のパーソナリティによるのだ。また、僕たちには社会的な立場をもっている。会社で働いていればそこでの役割りもある。固有の目線はそれらの掛け合わせであってとても複雑だ。複雑なものを掛け合わせるとその結果はもっと複雑になる。これご僕たちの社会の複雑性を生み出している。僕たちその複雑性に対処するために他者の目線に目線を合わせることをする。◯◯主義とイデオロギーなどはその最たるものだよね。しかし複雑性がなくなるわけではないだから個人の目線に立てば立てば立つほどイデオロギーに対して違和感を生じるし、マイノリティとして孤立することになる。それはとても自然なことなのである。だからこそは僕たちは、固有の目線を持つことを恐れてはいけない。むしろ固有の目線を排斥する力学こそ個人のパーソナリティの尊厳を汚すものとして警戒するべきなのである。複雑な状況を複雑なみ受け入れるのが自然との関わり合い方である。僕たちばもっと、自分が自然の一部であることを意識するべきなのであろう。複雑さ故に孤立することを恐れてはいけない。



目線

2022年1月9日日曜日

レッドコードでコードレッドになった日

 退院して僕はデイケアサービスを利用することになった。自宅で入浴出来ないからね。賃貸マンションの我が家では手すりをつけるなどの改装ができないのだ。デイケアとは基本障がい者ではなく高齢者が利用するサービスだ、皆で軽い運動を行ったり昨日は懐メロを歌っていたね。正直僕にはあまりフィットした内容ではない(入浴を除いてはね)しかし運動を指導しているのは理学療法士や作業療法士などでリハビリに関する知識も当然持っている。昨日は作業療法士がいて、麻痺している左手の様子を見てくれた。その作業療法士は千葉のリハビリテーション病院に最近まで勤務していたとのことで僕がリハビリ病院で受けたリハビリに近い内容で個別にサポートしてくれた。そんな安心感もあって、ずっと避けていたレッドコードという吊り下げた紐(これが赤い)を使った運動を行うことになった。なぜ僕が避けていたかというと反マヒの僕に適した運動に思えなかったからだ、紐に手足をぶら下げることで無理なく運動が出来て普段あまり使わない筋肉を動かすことが出来るというものなんだけど、これが良くなかったらしく運動が終わった傍から左足が体を支えられなくなってしまったのだ、れはコードレッドき緊急事態である。恐らくは一過性の筋肉疲労だと思うけど。家に帰ってから歩けなくなってしまい大いに困った。家の中での歩行は自立できていたからね。不用意に強度のある運動はしない方が良さそうだ。十分な医療的ケアのないデイケアサービスで中途半端なリハビリをやってはいけないね。改めてそのことがよくわかった一晩経って多少回復したけどまだ完璧に戻ったわけではない。リハビリでは良くなりたいという気持ちに惑わされることなく自分の感覚を信じて判断することが大切であるようだ。

無理は禁物

2022年1月8日土曜日

プロジェクトy戦略者たちプロジェクトz葛藤者たち

 プロジェクトxには挑戦者達という副題がついている。x世代の僕たちにとって多少見通しが立たなくても挑戦と言う言葉に奮い立って突き進むのが美徳だった。そこで。多少負債(お金だけでなく、資源の使い過ぎ)が起きても。インフレで成長する社会では、時が経てばたいした問題では無くなる。だからプロジェクトに過剰に取り組んでも良かった。

しかし高度成長が終わって過剰な負債が一気に表面化したバブル崩壊以降。プロジェクトには堅実性が求められリスクを最小化すべく技術の粋を集め綿密に計画を立てて戦略的にプロジェクトを実行するようになった。イメージはスカイツリーだね。。それがy世代の特徴なのかもしれない。無理はせずにいかに計画通りに実現するかそれがプロジェクトyだ。無駄無理を略するわけだ。それではデジタル・ネイティブのz世代におけるプロジェクトz とはどのようなものだろうか、特徴の一つはゆるいつながりだろう例えば新国立競技場を見ればよくわかるかもしれない。プロジェクトx的な浪費プロジェクトはキャンセルされ堅実な規模に修正されたそして、修正された計画はアイデンティティを問い直し47都道府県の木材を使ったつまりソーシャル性の高い建築物になった。しかしそこには常に資源の最適化という大いなる葛藤をないざいしているのだ。z世代はテクノロジーに支えられたソーシャル・ネットワークの海の中を泳いでいる。そしてその海の海流こそがプロジェクトを前に運ぶ運ぶ力になっているのだ。もともと大型のプロジェクトは社会性か高いものだけど。その目的や開発プロセスにより社会的なビジョンが求められるようになったと言うことでしょう。

プロジェクトxは机プロジェクトyはロイヤルミルクティープロジェクトzはシフォンケーキと言った感じかしらん。

2022年1月7日金曜日

突貫工事に駆り立てられる僕たちに残された道は

 法政大学長岡猛教授の著書「みんなのアンラーニング論」に突貫工事のエキスパートという言葉が出てくる。僕たちは何かに駆り立てられてしまうと本質を問い直すことをわすれてしまう。技術的な視点で世界を観る人は周囲のものが全て最適化可能(生産性向上に役立つ)な資源と考え、しかも生産性の向上に駆り立てられる(ハイデガー)。つまり、生産性の向上に向けて突貫工事に邁進してしまうのだ。突貫工事が正当化されるのだよね。そして、そこで最適化されていく資源は今ここにあるものだけでなく、ぼくたちの未来の夢や欲望といった可能性までもが資源となって市場で取引されているのだ、多くのIT企業は現在の収益ではなく未来に予想される収益という可能性によって評価されている。つまり僕たちの世界は未来を先食いする突貫工事をしているのかもしれないね。

なぜ僕たちはこんな未来を先食いするような突貫工事に駆り立てられるのかというと、僕にはそこはには技術進歩の背後にあるにある科学唯物論と強者生存のダーウィニズム的進化論が横たわっているような気がしてならない。僕たち技術の行き過ぎや進化の是非を問い直すことは簡単ではないだろう。なぜなら今もって僕たちの世界は解決しなければならない問題や課題が山積しているからな。科学と進化はそれらの解決の重要な手がかりである。問題や課題が無くなることは無いだろう。そうなると僕たちは問題や課題の捉え方を変えて行かなければならない自らの世界を変えていくしか道はないのかもしれないね、



change the world




2022年1月6日木曜日

手段と目的

 偉大なる哲学者のカントは自らの人格と他者の人格にある人間性をいかなる時も手段化してはならない目的として扱えと説いているらしい。また、法政大学長岡教授は最新の著作みんなのアンラーニング論の中で、学習を手段化することに警鐘を、鳴らしている。どうやら僕たちは気をつけないと目的とすべきものを手段にしてしまっている時が少なからずあるようだねもっとも学習や成や社会性、個人の体験嗜好興味関心創造性なども全てカントの言うところの人間性の一部と、言えるのかもしれないね。アドラーは創造性を「目標を形成する能力であり、またそれらの目標を達成する手段である。」と言っているから。もっと整理が必要でここらへんはちょっと難しいところだね。創造性を人間性の一部だとすると企業が社員の創造性を手段化して利益の最大化を図ることは倫理(あるべき)に反することになる。アドラーの言う創造性が自らの人間性を目的としていれば良いのだけどね。どこかで目標が資本主義的欲望が目標になってしまうとやはり手段になってしまう。要するに自分の能力や行為は自分自身や他者の人間性の目標のためにあるべきなんだろうね。この問いはとても深いしすでに身体知化されてしまっていることもすくなくないから何か目的を持った時には手段とセットにして点検しなくてはならない倫理観道徳観がとても重要なばめんだよね。




外は大雪だからテレビの中もアナ雪でおおゆきにしてみる。


2022年1月5日水曜日

記号の持つ意味

 我が家の犬はジャックラッセルテリアという犬種である。この犬種固有のものではないと思うけど伏せをすると後ろ足と尻尾の形が面白くなる。ギリシャ文字でΨプサイという記号に似ている。このΨプサイ量子力学では。シュレディンガーの馬童関数という重要な役割を果たしたいるらしい精神医学ではΨは超能力を指している。いづれにしても常人には理解困難なものであるようだ。このように記号に意味を与えるのは人間だけど。きこは自然界にえるものを表象して出来ているものも少なくない。その代表が象形文字と呼ばれるものだよね。漢字も字によっては象形から生まれたものもあるようだね。だからもじがなにかの形に似ていると感じるのは逆なのかもしれないけど。犬の下半身を観て量子力学やせいしんいごくに思いを馳せるのも悪くないかもしれないね。そうあえば、新型コロナウイルスも変異株にギリシャ文字を当てているよね。しかし特定の人命などを連想させるものはパスするらしい、変異皮増えいくとプサイなんていうのも出てくるのかもしれないね。個人的には犬の下半身に似ておるからパスして欲しいけどね



見事なΨプサイです。

2022年1月4日火曜日

意識高い系はなぜ嫌われる?

 意識高い系(いしきたかいけい)とは、自分を過剰に演出するが中身が伴っていない若者(言い換えれば、虚栄心が強い)、前向きすぎて空回りしている若者、インターネットにおいて自分の経歴・人脈を演出し自己アピールを絶やさない人などを意味する俗称である。こらはWikipedia に書き込まれている。意識高い系の解説でえる。虚栄心に空回りとネガティヴな表現が並ぶ。

あまり好かれたり、手本にされるような印象はなく、冷笑される姿が目に浮かぶ。当人の態度と周囲のめせんのズレが象徴的なだよね。


前向きさが目につくからと言ってディスられていたら、たまらない。

いつの時代も頑張る人を揶揄する皮肉な人達はいる。そういう人達は自分はあんな風にはなりたくない。頑張れないと言う思いがあるようにおもえるね。きっと誰かの目線で常に自分と他人を比べてしまう癖があるんだろうな、要するに自分に自信がない。から前向きなヒトを見るとつい意識高いよねと揶揄してしまうのだろう。できないことに劣等意識を持つよりも出来ることを増やして行った方が良いと僕は思うも。誰にでも他人から何と言われようと意識を高く保つことができることがあるはずだ。大事なことは虚栄心の高さ比べにならないことでしょう。意識高いと言う前に自分が意識高くいられることを探した方が良いかと思います。いかなる場合でも前向きさをディスるべきではないだろう。





2022年1月3日月曜日

デジタル医療革命

 僕は昨日の夜録画しておいた私たちのデジタル医療革命2022と言う番組を観ている、冒頭はいきなり。リハビリロボットによる。左手マヒの、リハビリの様子である。これ受けてみたいなぁ。さらには内視鏡✖️AI毎年下部内視鏡を受けている身としてはこれも大変興味深い。また、医療情報ネットワークも今回複数の医療機関を受けることになって大変待ち遠しいものである。退院後の専門医診察にcdをハンドキャリーしているような現状だからね。救急搬送時に医師が知りたいのは病名と処方だそうだけど患者が説明できる状態にあるとは限らない。番組のタイトルは医療革命と打っているけど。番組で取り上げた問題はとても身近なものばかりであった。ほんと、お願いしますよ。どんどん進めてほしいものばかりです。病気は身体のあちこちに分散しているけど。ホリスティックに僕と言う人間は一人なのだからね。


ルイちゃんのリハビリ

2022年1月2日日曜日

プロジェクトxの光と影

 三ヶ日の二日目、僕は自由に外出もできないので家でのんびりしながらプロジェクトXの再放送を観ている。再放送されているのは黒部第四ダムに青函トンネル。国産コンピュータに新幹線。コンビニにVHSにカップヌードルと、まさに僕の若き時代のビックプロジェクトばかりだ。僕はそれらビッグプロジェクトでの技術革新の恩恵をたくさん受けてきたことは間違いない。そしてハイデガーの言う総駆り立て体制の一員なのである。技術進歩の恩恵を受けてきた僕たちは、自然と技術的な視点で世界を見るようになっている人々の未来でまでも最適化可能な資源であり、この資源を独占したGAFAが、資本主義の主役となっている。最近でこそSDzGsといった持続可能性に関する視点も生まれてきたけど生産性や効率性が僕たちの行動を今もって強く駆り立てていることは間違いなくこの技術的な視点によって僕たちは生産性へと駆り立てられ。日常のちょっとした隙間時間さえも。ぼーとすることなく資本主義社会に自発的に差し出しているのだ。外に出て異性に合うより、データベースで相手をさす。その方が効率的と信じているからだ、そして僕たちは自分自身を自ら自然から切り離して資源として差し出しているのだ、その背景には数々の国内外のビッグプロジェクトにおける技術革新があったことを忘れてはならないだろう、

例えば最近グレートトラバースばどの山岳トレイル番組が多く放送されていて黒部の山賊などもその一つである。黒部第4ダムは電源開発のなのもとに北アルプスの貴重な自然を資源化したものである。しかしプロジェクトXにその自然への畏敬感謝共生といった視点は描かれない、技術力と身を賭した人々の尊い犠牲でやり遂げたぜいえ〜いみたいなお決まりの筋書きなんだよね。これハリウッドの戦争や国家的危機を乗り越える勧善懲悪映画と似ているかもしれないよ。自ら種を巻いておきながら最後は大団円でいえ〜いハイタッチみたいにね。ひょっとしたら今ではco2を出さないクイーンエネルギー最高いえ〜いみたいに評価されてしまうのかもしれないけどね。

僕たちはもっと技術に駆り立てられない自分を取り戻すために自発的に欲望の資本主義の奴隷になるのでなくぼーっとするべきなのかもしれないね、


ぼーっとしましょう

2022年1月1日土曜日

気づくと意味づけのために必要なこととは。

 元旦の朝。僕は布団の中で夢を見ながらふと、考え事をしていた。それは。気づくってどう言うことだろうと言うものでした。気づきはひらめきとは違う書籍によれば内面的自己認識と外面的自己認識があるらしい。さて僕が考える気づきは、例えば車を運転してある時に車の陰から子供か出てくるのに気づくと言った認識ではなく認知での気づきも含まれる。いすれにしても。認識認知の無い状態からある状態への遷移プロセスが気づきと言えるのがもしれないね。意識されていなかったことやものが意識されるようになったことであろう。だから、見えるものや意識化できる物事でであると言えるだろう。例えば多くの人々にとって霊魂を見ることはできないからもし、目の前に霊魂がいたとしても気づくことはできない。そして思考も同様である。意識化するにはその前の状態つまり潜在意識化されている必要があるのではないだろうか。気づきの多い人生のためには潜在意識の蓄積が重要だと思われるのだ。そのためにどうすればいいかと言えば、より多くの多彩な経験を積みたくさん考えることであろう。多様な情報をインプットすることだ、より多くの潜在意識の蓄積の中からぽこっと意識化された時にきづきが生まれるのである。そして気づきにひらめきなどの創造性が加わると意味づけが生じる。意味は意識よりもより強く僕立ちを行動に駆り立てるエネルギーを持っている。無駄に思えるような経験や思考の蓄積が僕たちの行動力になっていくのだ。元旦の夜明けからよい気づきがありました。


元旦の夜明け前。