2014年5月1日木曜日

「経験」の功罪を考えてみた

社会人経験も長くなると当たり前の話ですがいろいろな経験が増えます。経験を積む事で得た知識や教訓は、難局や新たな場面に対処する際の引き出しとなってくれます。

では、経験は少ないより多いほうがいいのでしょうか。

どうやらそうとも言えません。

例えば、「俺のときはこうだった」バイアス。知恵の引き出しどころか出る杭を打つ金槌と化して可能性の芽を叩いてしまいます。

次に、「あれは(経験からして)きっとうまくいかない」という予期。とにかくやってみる気持ちを萎えさせます。

これらの共通点は、経験を積んだ場で経験を活かそうとすることです。

例えば、転職者は前職で経験を積んでいます。その転職者が業務のなかで何気にこんな事を口にすることがあります。

「うちでは、これは云々・・・」

このときの「うち」と言っている対象が現職でなく、これまでの職場を指していたらほぼ間違いなく、経験が罪を成していると考えています。


経験は宝ですが、守ってはいけない宝です。湯水のごとく使い倒し使い切って初めて宝と言えるものです。

「俺のとき」「(経験に照らしての)きっと」そして「うち(これまでの自分)では」。
これらは私の中では経験が罪を犯しているときのキーワードです。


きょう、「きっと・・・」と思っていたことを反省