2014年7月31日木曜日

嫌な場所を学びの場所に変えること

夏休みになり、早朝の公園でラジオ体操がおこなわれていますが、自分の記憶の中ではラジオ体操は越境の場でした。というのは、小学校で越境入学(といってもとなりの学区)していたのですが、ラジオ体操やお祭りは地域コミュニティ(町内会)の主催なのでそちらへの参加です。

どちらがホームでどちらがアウェーかわかりませんが、「顔見知りが居ない」ということでは、ラジオ体操やお祭りの方です。お祭りなどは小学校の友達が居るほうに参加することもありましたが、他の町内会では常に新参者であり、いづれにしても居場所の無さが記憶に残っています。

さて、「越境」を考える際に、承認の有無は居心地と大きく関わってきます。それも、「許可」ではなく、「歓迎」の意を含む承認があると居心地が大きく変わってきます。その典型が「おもてなし」です。「おもてなし」ではさらに、主客一体において、主人とお客には対等な関係が発生し新たなる異邦人であっても居心地は良い状態です。

そこでふと疑問に思ったのが、リフレクティブエージェント(イネーブラ)として「Boundary crossing(越境)」を考える場合、居心地をどのレベルの設定すると効果的なのか(=居心地のデザイン)ということです。

異質な体験や日常に触れることで、自分の状態や状況についての気づきを得るためには、「顔見知りが居ない場所」という非日常、かつ、「適度な承認」が必要だと考えます。何となく自らの越境をデザイン出来そうです。

しかし、「適度な承認」は抽象的なもので、実際は時や状況によっても異なるものでしょう。イベントへの「申込み→参加受付」というプロセスであっても、「許可」による承認の代表的な例ととらえることもできます。(イベントが「越境」かというと微妙な気もします)ウエルカムメッセージが届くと「歓迎」ですね。

何だか、承認自体、受け止めかたがゆらぎそうです。そういうデザインだというならそれでも良い気もしますが、自分のイメージの中ではそれはゴールに向けてのプロセスというより、手順(算段)と映ってしまいます。

一方で、「気づく」という創発的行為を中心に考えるのであれば、居心地のレベルなど考える必要は無いのかもしれません。

であれば大切なことは、自らの日常に埋もれないことと、非日常を早くやり過ごしたい嫌な場所ではなく自らの足場とする(何かに気づく)ことで学びの場に変えることなのでしょう。

本日のまとめとしては、居心地は越境のデザインとは関係なく、非日常を足場とすることを意識しようということです。


ラジオ体操のお立ち台♪