知識はそこにあるものでは無い、モノ的知識観だと、知識とは本に書かれ伝授されるものだけれどもコト的知識観に経てば、それらは単なる文字情報でしかない。つまり、知識とは文脈の中で活かされてはじめて知識と呼べるものになるのである。平たい言葉に言い換えれば気づきである。脳科学におけるフリーマンの意識理論によれば、意識とは脳内で明滅する辺縁系を中心に発生する大域的アトラクターの生成と消滅の連鎖であるということになる。この脳神経のネットワークにおける大域的アトラクターはすなわち創発のことである。この大域的アトラクターは散逸構造なので、創発はやがて自然に消滅し混沌に帰すのである。そして、この脳内で起こっている創発が意識としては気づきであって、状況に埋め込まれた文脈の中意味(=価値)を持つと考えられるものがが知識と呼ばれるのである。つまり、知識は文脈の中で人の中にあるもので神に文字情報として記されたものでは無いのである。意図不在還元不能と定義されている創発を構成主義的に因果(原因と結果)で紐解くことは出来ないが、実は極めて日常的で魅力的な現象なのである。それは知の創造においても、である。
