2025年8月31日日曜日

あれから1500日(過去記事のリサイクル版)

 最近リサイクル版と称して過去記事をAIで推敲しているのだけれども昨日は第一回目の記事をリサイクルした。今日はその第一回にも匹敵するくらい感慨深い3054回目の記事をリサイクルする。


でもこの記事が4565回目だからあれから1500日書き続けているんだなぁ。


 3053日で途切れた朝に


連続3053日。

毎朝のようにブログを書き続けてきた。日課であり、儀式であり、私にとっては日々を刻むリズムだった。


しかし、その連続はある日の朝、不意に途切れた。


## トランクルームでの奇跡


その日、午前10時。契約していたトランクルームで荷物を整理していた。何気ない作業の最中に、突然、足が立たなくなった。

「これはただごとではない」と本能が告げた。言葉も不明瞭になり、体の半分に麻痺が走っているのが自分でもわかった。


閉ざされたトランクルームの中。

このままでは救急車にも乗せてもらえない。まずい、と分かってもどうにもできない。


そのとき、人の気配がした。

声の限りに助けを求めた。これまで、ここで人に出会ったことはほとんどなかった。だから、それは奇跡だった。足を止めてくれた人は、すぐに救急車を呼んでくれた。あのときの一瞬の出会いが、私の命をつないだ。



## 救急搬送と緊急手術


救急隊員は、私の顔の麻痺と言葉の乱れを見て、脳疾患に対応できる病院へ直ちに搬送してくれた。病院に着いたときもまだ、脳内の出血は止まっていなかったという。診断は「右被殻下の脳出血」。そして即座に緊急手術。


医療スタッフと、助けを求めた声に応えてくれた人々。

そのすべてがなければ、私は今ここにいなかっただろう。


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痛々しい手術跡


## 途切れた連続と、続いていく時間


3053日という数字は、途切れた。

けれど、その途切れの先で、新しい「続き」が始まったのかもしれない。


連続が破れたからこそ見えたものがある。

「日常の奇跡」は、必ずしも劇的なものではなく、ふとした出会いや人の手の中にある。


私はあの日を境に、ただ生きるのではなく、「生かされている」という感覚を強く持つようになった。


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ブログにも残る2021年の手術跡