「根拠」は、「ものごとがそうであると主張する理由となるもの」に使われます。
これがあるからこうだと、人が納得できる理由のことを言います。
「証拠」は、「事実を明らかにする為に示す品物や情報、画像や音声などのこと」に使われます。誰もがはっきりとそうであると判断する為に提示されるもののことを言います。
違比較辞典より転載
リハビリで聞いたのは運動は筋肉のこわばりを改善するのか悪化させるのかという議論があるということです。どちらが正しい主張なのかを判断するために必要なのが証拠です。そして積極的に運動しましょうか、運動は抑えめにしたほうがいいよねという主張の理由となるものが根拠です。だから証拠に基づいて主張の正しさを納得させるものが根拠つまり判断に基づいて展開される主張の理由が根拠だね、例えばリハビリ病院がリハビリに力を入れていることは、受け入れている実習生の数が証拠になるかもしれないけどその数では本当に効果的なリハビリが実施出来ていると主張する理由として納得しない人もいっるだろう、しかし他の病院と比較して同じ同程度の患者に対する実施リハビリ時間で日常生活行動の評価得点が高くその視点で療法士の活動評価や学習機会を病院として実施している(評価項目と業績評価の実施、学習支援の内容=育成施策の時間と方法と投下費用が証拠として揃っていれば。リハビリに力を入れているとの主張に誰もが納得するだろう。根拠として成り立っていることになるよね、比較して優位性主張するにはベンチマークとなるものがどうしても必要になるベンチマークがない場合はどうしても従来比で比較するしかない。よく、テレビ通販のサプリメントや健康食品化粧品とかで、当社従来商品比で何倍有効成分が多いというのをみかけるけど、あのパターンだよね、だからより健康に効果があると主張されるとそれは全く根拠になっていないけどね。
だから根拠においては何が主張されているのかもしくは人々は何を納得したいのか重要なポイントなのである。
例えば今回の僕の入院に関してはリハビリを行ってくれる療法士の技能や信念にはかなりばらつきがあると感じている。僕が知りたい(納得したい)のはより効果を上げられる信念を保有し(成果志向)に基づいて最適な施術を行ってくれる療法士が誰なのかである。目標へのコミットメントが弱く施術に信念が感じられない療法士が行うリハビリには時間を浪費しているような印象すら感じてしまったね。
つまり根拠が証拠となるデータに裏付けされない場合主張の背後にある信念とそれを果たしきろうとする態度があれば人は納得できるんだよね。これは入院による大きな学びの一つである
でも世の中には信念を偽装して態度を豹変させる人もいる、僕も経験があるけどこうなるともはや詐欺だ、時折詐欺は騙される人にも落ち度があるといった、声も耳にするけど人は納得を通じて他人を信頼してしまうという習性があって、その習性の悪用を正当化する詭弁はその人の倫理観に大きな瑕疵があるだろうょっとしたら信念を偽装して豹変する人と同じくらい信用ならない。人が根拠を欲しがるの生き物であることをを悪用するわけだからね。だから信じた私が馬鹿でしたとならないためには徹底した証拠集めが必要であるということだ。