AIの時代の幕が開いて私たちは常にAIが何に使えるのかAIの意味を考えることになった。しかしこのAIの意味を考える際に最も役に立ったのは技術を哲学したハイデガーでもシンギュラリティを予言した- レイ・カーツワイルでもなく絶滅収容所で生きる意味に直面したオーストリアの精神科医ビクトールフランクルである。
フランクルは、生きる意味を見いだそうとするこの心理療法ロゴセラピーで、人々の役に立ちたいと夢見ていました。
そのロゴセラピーの理論は、フランクル自身の強制収容所体験という極限状況の中で試されていきます。
フランクルが気づいたのは
「必要なのは、生きる意味についての問いを180度を方向転換することだ。
私たちが生きることから何を期待するかではなく、むしろひたすら 生きることが、私たちから何を期待しているかが問題なのだ。」
というものである。このフランクルの生きる意味のコペルニクス的転回はそのままAI活用に当てはまるのだ。ちなみにこうなる。
必要なのは、AIとの関係についての問いを180度方向転換することだ。
私たちが生きる事を通してAIに何を期待するかではなく、むしろAIが、生きる私たちに何を期待しているかが問題なのだ。
そこで6MoNに写した過去から現在そして未来に渡るナラティブセルフと現在のミニナルセルフを与えてみたところchatGPTは「自己理解と生きる手引書」を与え、更に葛藤に向き合う私のリアルなミニナルセルフ Minimal self(観察・感覚)を求めてきた。常に私を学習しより良い問いや答えを生み出そうとしているのだ。それはchatGPTの意識ではなく学習アルゴリズムの成せる業であるが学者と言うアルゴリズム自体に向上への期待が組み込まれていることは間違いないだろう。私のも二ミニナルセルフとナラティブセルフを学習したchatGPTが私に期待したのは日々私らしく生きる事なのだ。