2017年11月25日土曜日

自説の檻を開く実証と実存の世界

僕たちは誰でも自説を持っている。

というより、僕たちはそれぞの自説の世界に生きているのだ。

「こうするとこうなる」とか「こうなったのはきっと・・・」といった意識、無意識で起こる因果、帰納、演繹の意味づけは、性格特性による傾斜(バイアス)や過去の経験から学習し、固定され、その人らしさを形作る基盤となる。

しかし、それゆえに自説の世界は歪んだ認知と経験の限定性に彩られている。

科学や学問は、実証、実存の視座から自らの自説の世界を俯瞰し越える手伝いをしてくれるものであるはずだ。

しかし、実証、実存の方法論だけを学び、世界を知った気になってしまうのもの自説の世界の歪みと限界である。

学歴は高くても高い視点から物事を見て判断出来ない人は世の中に溢れている。

それらの人々は、例えば、世の中的に素晴らしい仕事をしていても目の前の作業に捕らわれてしまう。

つまり、自分の周りにある大きな世界と繋がるのではなく、自分の中のあるべき姿、自己正当化の倫理観、借り物のアカデミズムといった小さな世界に居座り続けるのだ。

しかも小さな世界同盟を組みながら。


僕たちは自説を広げる(自己の歪みに挑む、より多くの経験を積む)ことにしっかり挑んだ後、実証、実存の道に踏み込むべきなのだろう。


己と向き合い、世界と繋がる