溝上氏は大学教育に見切りをつけて高校教育に力を注ぐ決意をされたそうだ。
事の経緯に関する情報があちこちから流れてきて、「ああ、そうなんだ」と思う。
以前、大学生研究フォーラムで話を聴いた時は強い印象に残っていたので転身の決断にもあまり違和感はない。
さて、「日本の大学が人材を育てられない理由がわかってきた」とのブログ(とは言っても、このブログで溝上氏はゲストなのでうまく用いられているだけにも思える)を読んで僕が思ったのは、裏返ったパンツである。
実は最近、家人からパンツが裏返っていると何度か指摘されている。
まあ、誰に見せるものでもないから良いのだけど、それなりにちと恥ずかしい。
だもので、つい「そんなこと言わなくても良いのではないか」とか「そもそも、畳み方がおかしいのだ」とか誰かのせいにしてしまう。
でも、先日、ちゃんと考えて、きっとパンツを脱いだ時の脱ぎ方が悪い(裏返っている)ので、そうなるのだと思った。
つまり、真の原因は僕のパンツの脱ぎ方なのだ。
この仮説の裏付けには、靴下が丸まって洗濯される事件も一役買っている。
では、なぜこの裏返ったパンツと大学教育が繋がったのかといえば、もし、大学教育が就職の踏み台でしかないのだとしたら、それはパンツが裏返った状態と似ているように思えたからだ。
パンツは表でも裏でも機能はかわらない。
大学では学究の場が表で就職の踏み台が裏だね。
パンツの裏は恥ずかしいけど、「男おいどん」みたいに表と裏を数週間履き分けているわけじゃないから汚くもない。
パンツは表を履くものという「当たり前」ではないだけだ。
昨今の大学生は、確かに勉強をしないかもしれないけど、エコロジーに詳しく、コミュニティを大切にし、環境にも人にもやさしい。
勉強第一の教育者からしてみれば、そんな大学生は「裏返し」の状態に思えているのかもしれない。
だからと言って「裏返し」はだめだ、とは言えないでしょ?
消費社会ではなくリサイクルを推進し、競争ではなく平和なコミュニティ作りに勤しんだのは、紛れもなく僕たち大人だ。
まあ、そんな簡単な喩えで済むことではないことはわかるけど、大学では遅いから高校以外にも「まなざし」があるように思えるのだよね。
貴乃花も転身
