だから、僕たちからどんな行為を引き出すのかは「場づくり」に掛かっているのだよね。
一方で、「場に集う」とき、主人としてなのか、客人としてなのかによって意味は大きく異なるだろう。
主人であれば「場づくり」を担い、客人であれば「場」を味わうのが役割だ。
「場」には色々な「場」があるけど、「学びの場」において「学ぶ行為」を引き出すためには主客一体である方が効果的であるように僕は感じている。
でも「学びの場」と言いながら一方的な「場づくり」も少ないないよね。
例えば、「話しすぎ」。
話し上手な人、熱い思いを語る人の話は、聞いていてとても楽しいのだけど、その人以外から「ひたすら聞く」行為を引き出すことは間違いない。
それで質問が出なかったり、ピントがずれたりするのは当たり前なのかもしれない。
「学びの場」に集う者の積極的関与が必要であれば、関与を引き出す「場づくり」をしなくてはならない。
僕は「何を話すか」よりも大切なことなのだと思う。
今日は暑かった
