2021年10月11日月曜日

AIはぼくらを幸福にするのか不幸にするのか

 僕がリハビリ行う中で雑談中に2回ほど療法士の方からアメリカで発表されたAIが進歩発展しても無くならない職業の上位に療法士がリストアップされているとお聞きした。療法士の方でもAIがきになっているのだなとちょっとした驚きがあった。数学者の新井素子先生はAIは人工知能ではなく人工無能だと手厳しいAIの実態は数式でしかないから意味を理解することは出来ないからである。しかしAIの検索能力に僕たちはもはや太刀打ちすることが出来ない。意味を理解はできなくても尤もらしい答えを導き出すことができるのだ。学習結果を応用して推論することもできる。例えばぼくの歩行訓練動画から歩行時の問題点と改善点を導き出すことはできるかもしれない。ぼくを担当している理学療法士が行っている仮説組み立てと検証そして介入と評価の反復という科学的なアプローチは機械学習によって学習することはできるようになるのかもしれない、しかし僕の人生の意味を理解して最適な答えを導き出すことは難しいだろう。なぜならば生命には再現性が無いつまり科学的なアプローチの対極にあるものだからね。僕は人生の意味は生存秩序探求感情が自己組織化したものでありそれはぼくの実態でもある・僕は僕にとっての意味の実像なのだ。意味を理解することがないAIにとって僕は常に理解不能な存在である。それはどんなにぼくのデータを入力しても僕をりかいするのではなく。もっともぼくっぽい答えを導き出すものでしかない。しかしそれは僕にとって決して心地よいものでなく。僕はきっと不幸を感じるに違いない。


願いが叶うという幸せ