。「今、この瞬間に、モノが目の前にある」という理解の仕方だけで、あらゆる存在を説明することができるのでしょうか。ハイデガーは、そうではないのではないか、と疑問を呈します。こうした存在の概念では説明のできない存在のあり方、あるいはそれによって見えなくなってしまう存在のあり方も考えられるのではないか、というのです。たとえば人間は「今、この瞬間」だけを生きているわけではありません。人間にはそれまで生きてきた過去があり、その記憶があります。また、これから歩んでいく未来があり、それへの期待や不安を抱いています。こうした過去や未来とのつながりから切り離して、人間が生きている現在を理解することはできません。そうである以上、私たちが当たり前と見なしている存在の概念は、人間の存在を説明することができないのであり、そこに限界がある、ということになります。
わたしたちは現在、「存在している」(ザイエント)という言葉で、そもそも何を言おうとしているのかという問いに、何らかの答えをもっているだろうか。いかなる答えも、もっていない。だからこそ存在の意味への問いを、新たに設定する必要がある。
NHK 100分 de 名著 ハイデガー『存在と時間』 2022年 4月 [雑誌] (Japanese Edition) (p.27). Kindle 版.
ハイデガーによれば恐らく組織における人は存在者ではなく眼の前にある存在である。一番わかりやすいのは機微な情報だとして過去は問えないという暗黙の了解である。これは、フロイト心理学の悪しき浸透があるのかもしれない、過去のトラウマ体験はその後の精神状態に悪影響を受けているのかも知れない、過去を問うてメンタルになってしまったら困るという杞憂であろう。その一方でキャリアビジョンなど未来志向は強要しているのだからおかしな話ではないか
