協業は、善意だけでは始まらない。
「やりましょう」という言葉の裏側に、実はもっと静かな条件がある。
ある協業の話があった。
関係者の一人は「やってみなければ分からない」と言い、
もう一人は「勝ち筋が見えない」と言った。
どちらも間違っていない。
むしろ、どちらも正しい。
前者は可能性を見ている。
後者は構造を見ている。
問題は、そのどちらを信じるかではなく、
その二つをどう扱うかだった。
当初、小さな検証(PoC)を行うことになっていた。
外部の関係者にも参加してもらい、
実際に価値があるのかを確かめるための場だ。
しかし、その機会はキャンセルされた。
事情は様々あるだろう。
忙しさかもしれないし、優先順位の問題かもしれない。
ただ、一つだけ確かなことがある。
検証は実施されなかった。
そして、その後
再度の検証は行わないという整理になった。
ここで気づく。
これは「うまくいかなかった」のではない。
「始まらなかった」のである。
協業において本当に問われるのは、
アイデアの良し悪しではない。
「同じ土俵に立てているか」だ。
土俵に立つとはどういうことか。
決められる人が関与している
優先順位が与えられている
時間とリソースが割かれている
これらが揃って初めて、
はじめて人は同じ場所に立つことができる。
どれだけ関係があっても、
どれだけ善意があっても、
これが揃わなければ、
人は同じ土俵には立てない。
今回の出来事は、それを静かに教えてくれた。
合意はあった。
しかし、実行はされなかった。
つまり、条件が満たされていなかったということだ。
ではどうするか。
ここで選択肢は二つになる。
条件を揃え直して、再び同じ土俵に立つか
その土俵には立たず、別の場所で進むか
どちらが正しいかは状況による。
ただ一つ言えるのは、
土俵に立てていない状態で進めても、
それは協業ではないということだ。
「やってみなければ分からない」という言葉は美しい。
しかし、それが成立するのは、
同じ土俵に立っているときだけだ。
土俵に立てていないときにそれを言うと、
それはただの期待になる。
そして期待は、
多くの場合、現実に敗れる。
だからこそ、
最初に問うべきはこれなのだ。
「同じ土俵に立てているか?」
もし立てていないなら、
無理に登ろうとしなくていい。
別の場所で、小さく確かめればいい。
その方が、
はるかに健全で、誠実で、現実的だ。
■ 締め
協業とは、関係ではなく構造である。
そして構造とは、
誰がどこに立っているかという、静かな配置のことだ。
土俵に立つ。
それは派手な決断ではなく、
最も地味で、最も重要な前提なのである。
