2026年9月14日月曜日

苦しみの意味と他者の沈黙――フランクルの視点から考える

 「苦しみにも意味がある」

精神科医ヴィクトール・フランクルは、生きる意味を見出す心理療法「ロゴセラピー」を通じ、人々の役に立ちたいと願っていました。その理論は、彼自身が体験した強制収容所という極限状況の中で真価を試されることになります。

フランクルは説きます。必要なのは「生きる意味」についての問いを180度転換することだと。 「私たちが生きることに何を期待するか」ではなく、「生きることが、私たちに何を期待しているか」こそが問題なのだと。そして、人生そのものに意味があるならば、そこに生じる「苦しみ」にも意味があるはずだと結論づけました。

さて、沖縄知事選の結果が出ました。今回の争点を見ても、戦中・戦後の沖縄が抱えてきた苦しみは今なお続いていると感じざるを得ません。

フランクルの言葉を借りれば、その苦しみにも意味が宿っているのかもしれません。しかし、それを当事者以外の他者が軽々しく語るならば、それは空虚な戯言にしかならないでしょう。

これは個人の人生においても同様です。誰もがそれぞれの苦しみを抱えていますが、その意味づけを語ることが許されるのは当人だけであり、他者が介入すべきではありません。苦悩を抱えながらも自らの人生と向き合い、PTG(心的外傷後成長)へと至れるかどうかは本人次第であり、それこそが「本人の人生が当人に期待している何か」なのです。

その意味において、選挙における敗者の弁、そして他者の向き合い方は極めて重要な意味を持っています。