2016年6月22日水曜日

人の能力の本質はすごい という話

データを使って人の特徴を表現しようとするとけっこう苦労があります。

統計データを使う場合、帰無仮説という考え方を使うことが多いのですが、違いを明らかにするためには、違いが無いという仮説を否定できなければならない訳です。

ようするに人と明らかに違うぞ、とならないと認められません。

一方、人は容易く他者の特徴を知覚します。

それは容姿に留まらず、性格、相性など「容易にみえない特徴」まで及びます。

しかも、この能力は、意識すること無しに発揮されています。

人はとてもしなやかな社会性を表現する存在ですが、その際に「認知」→「思考・内観」→「判断」といった時間とコストの掛かるプロセスは使われません。

もし、全てそのようなプロセスを採っていたら、社会はナマケモノ以上のスローモーションとなってしまいます。

素早く人の特徴を見分ける能力には様々な仕組みがあるのですが、一方で、それは認知バイアスと呼ばれる決めつけ、歪みの問題も生じさせます。

データを使うことは、このバイアスを回避する目的があるのですが、データで精度を出すためには、とてつもない量のデータが必要になります。

現在のAI(人工知能)がどれだけのデータと労力と電力を消費して成り立っているのか、そのコストパフォーマンスの悪さには驚愕します。

それに比べ、ちょっとした差異から次の行為を引き出すことができる人の能力はとても凄いものであり、改めて感嘆します。

その能力を置き換えることより、能力を高める方向で物事を考えることがとても大切に思える今日一日でした。


置き換える意味ある?