勝負に挑むことも、逃げることも、どちらも人生の一部であり意味ある選択だ。結果よりも、その選択に至る姿勢と過程こそが私たちの物語を形づける。
勝負と逃避、その両面にある人生の意味
これまでの自分の人生を振り返ると、勝負をかけた瞬間もあれば、しっぽを巻いて逃げ出した瞬間もあった。勝負を挑んで敗れたこともあるし、逆に挑んで良い結果を得られたこともある。
振り返れば、うまくいった時ほど、勝負に至る前の段階で深く関心を持ち、考え抜いていたように思う。
勝負は相手があってのことだ。結果は時の運に左右される。しかし多くの場合、その行方は「勝負の最中」ではなく「勝負の前」にすでに決まっている。
ジャニス・ジョプリンの名曲 Both Sides Now に沿って考えれば、「挑む」も「逃げる」も、結局は人生の同じ現実を別の側面から見ているだけだ。
選択とは、一瞬の判断のことではない。
その一瞬を形づくる、すべての過去と未来――つまり人生全般が選択そのものである。
その中には、病気や災害のように避けられない出来事も含まれる。
心理学者ヴィクトール・フランクルは、ナチスの強制収容所という極限状態の中で『夜と霧』を記した。彼はそこで、
「それでも人生には意味がある」
と述べ、さらに
「人生に何を期待するかではなく、人生が私たちに何を期待しているかを考えるべきだ」
と語った。
つまり、私たちの前には常に「意味ある選択の可能性」が用意されている。
そして、今まさに行っている選択の一つひとつにも、人生は意味を満たしてくれている。
だからこそ、勝負をかけるときも、逃げるときも、私たちはその瞬間を軽んじてはならない。
運に左右される勝敗よりも、「どのようにそこに向き合ったか」こそが、私たちの物語を形づくるのだ。
