2016年9月27日火曜日

課題を解け、と問われる社会で感動を呼ぶものは何か

人工知能が囲碁のプロに勝ったというニュースもすでに昔ばなしの感があります。

全てのゲームには「課題を解決せよ」という司令と課題解決のツールが提供されているわけだけど、囲碁では、対戦相手と碁盤と碁石とルールが解決のツールだよね。

解決のツールの組み合わせから解決に至る打ち手をどう選ぶかが勝敗の鍵となり、打ち手が多岐にわたるほど偶然性は下がる。

要は、打ち手の力量にかかってくるのだね。

さて、今日、新幹線に乗ったけど、新幹線と言えば、7分間のお掃除劇場が有名です。

ゲームじゃないけど、そこには明らかに解決しなければならない課題がある。

それも、「人間」というとても、多様で複雑な手段を使って打ち手を編み出し解決しなければならない課題なのだ。

この課題解決が海を越えて、ハーバードビジネススクールで注目されたということは、人間社会にとって普遍的な課題であり、かつ打ち手に感動のストーリーがあると考えて良いのでしょう。

で、ね。感動の本質は何なのかと言えば、それは誰にでもわかるものじゃなくちゃいけなくて、考えるに「合理性」と「希望」なんだと思う。

課題解決のための合理性と課題は解決出来るのだという教訓だね。

ただ、この合理性は、固有の課題のものだ。

例えば、お掃除劇場が5分だったら打ち手は変わっているかもしれない。

囲碁で言えば、碁盤が一回り大きいければ(小さければ)打ち手は異なるはずだ。

だから実は打ち手はそのままでは他の課題解決に役立たないよね。

でも、「課題は解決出来る」希望はモチベーションを内発させ、いかなる課題解決にも役立つ。

結局、皆、内発するモチベーションに感動を覚えているのかもしれない。


光明