まずは、経験をいかに意味づけるか。
経験には、今回の新型コロナウイルスのように偶発的なものもあれば、年齢など必然的なものもある。
経験を「あたりまえ」としないことで僕たちの「生きること」は瑞々しく躍動するのだけど、気をつけないと僕たちの周りは「あたりまえ」だらけになっていく。
そして、もう一つ重要なことは、「意味づけ」には「性格」が大きく影を落としていることだろう。
ここで言う「性格」は、遺伝、育ち、得手、選好、自我によって先天的、後天的に強化、形成される個性(もしくは固有性)である。
早い話、意味づけは人それぞれなのだけど、人となりに寄るところが大きいのだ。
で、ね。自分自身の固有性を「あたりまえ」としてしまうと、経験に意味づけをしているつもりでも結局いつも同じ意味になってしまうから「あたりまえ」にしないことが大事なんだよね。
(月)押し寄せる世代交代のビッグウェーブ
で、ね。じわじわ来るものもあるけど、新型コロナウイルスのように突然来るものの方が大きくて劇的であるよいに思えるね。
(火)「あたりまえ」という慣性軌道で僕たちが「死なないため」に
そして、天命反転住宅だけでなく、天命反転通勤、天命反転職業、天命反転職場、天命反転業務、天命反転飲食、などなど天命反転生活で日常をあたりまえの積み重ねにしないように、ね。
(水)経験からの学びなくして成長なし、共感なくして学びなし
要するに、お互いに共感が生まれていない状態なのだけど、案外、わからないものなのだよね。
(木)性格と生存戦略
そして、鍛錬する、多くと絆を結ぶ、役割を果たす、違いを見つけ強める、といった
戦略の基底にある行動と性格が強く関わっていると思うのだよね。
(金)だいじょうぶだぁ ではすまない試練にひつようなこと
新型コロナウイルスで亡くなられた志村けんさんにはかつて「志村けんのだいじょうぶだぁ」という冠番組があったけど、今回は全く大丈夫じゃなかったことを忘れてはならない。
(土)超社会主義が一番怖い という反論
その中庸で、もしくは振れ幅の大きさでいることが未来に目を向けた僕たちの有り様なのかもしれない。
あたりまえ ではなかった