2025年7月1日火曜日

割れた鏡と少年の闘い

 今から半世紀も前のこと。場所は東京の下町にある古びた小学校。時代も校舎も、もうすっかり色あせてしまったが、あの日の記憶だけは、いまだ鮮明に心に焼きついている。

昼休み。二人のやんちゃ坊主が、まるで戦士のようにドッジボールの闘いを繰り広げていた。校庭で始まったバトルは、やがてヒートアップし、逃げた一人が校舎内へと駆け込む。それを追いかけるもう一人。「廊下だからって終戦じゃないぞ!」と言わんばかりに、ボールは握られたまま、決着の場は廊下へと持ち越された。

勝負にこだわる少年の目は本気だ。逃げる相手に一向にボールが当たらず、悔しさがにじむ。ついには目に涙を浮かべながら、最後の力を振り絞って渾身の一投——。

そのボールは、糸を引くような美しい軌道を描いた。しかし、逃げ足だけは一級品の相手。ギリギリで身をひるがえし、命中はならず。

問題はその先だった。

ドッジボールには自動追尾機能などついていない。しかし、エネルギーを失って止まるわけでもない。ターゲットを見失ったボールは、新たな標的を探すかのように一直線に飛んでいく。

その先にあったのは——大きな鏡。

廊下の突き当たりにどっしりと掛けられたその鏡は、子どもの全身がすっぽり映るほどのサイズ。まるで校舎の守護神のような佇まいだった。が、鏡は“ドッジ”などしない。逃げない。止まらないボール、止まっている鏡。勝負は火を見るより明らかだった。

パリーン。

乾いた音とともに、鏡は粉々に砕け散った。まるで長い年月、誰にも壊されずに耐えてきたことを誇るかのように、最後は潔く散った。

その場に立ち尽くす少年と、静まり返る廊下。やがてやってくる先生の怒号。あとに残るのは、割れた鏡と少年の涙だけ——かと思いきや、心の奥には妙な達成感が残っていた。

後に聞いた話によれば、あの鏡は創立百周年の記念に、誰かが寄贈した品だったらしい。校長室には大きすぎて、なぜか廊下に飾られていたという。割れるリスクを考えれば、廊下は最悪の選択肢だったのかもしれない。だが、そこに掛けられていたからこそ、少年たちの「伝説の一投」は生まれたのだ。

教育と鏡は、どこか深い縁があるという。たしかに、鏡は自分の姿を映し出し、成長を促してくれる存在だ。けれど、あの日の鏡は、ただ映すだけではなかった。少年に「力の行方」と「やりすぎ」の境界を教えてくれたのだ。

そう思えば、あの鏡も、割れて本望だったかもしれない。
双方の親が呼び出された事は言うまでも無いが弁償することは無かったらしい