「 愚問は頭を悪くする」
「本気で考えさせた人が一番偉い」
これはこれまで何回もこのブログで取り上げてきた稀代の刻々教師大村はまさんの言葉である
「問い」とは何かを考える際に常に頭に浮かんでくる
最近もWEB調査の結果を見ながら考えていた聞きたいことがどんどん増えた調査の後半になればなるほどいい加減な回答(不誠実回答)が増えるのが見て取れた。まさに愚問になっていく様である。こういった回答態度の変化は容易く推定できるものだ。大村はまさんが「わかりません」とは言いません。と述べた回答態度にも通じるものだからである
大村はまさんは例えば教室であれば「わかりますか?」と教師が問えば生徒は「わかりません」とは応えないそれは思考ではなく反射であって本気で考えさせていない愚問でこの反射を続けていると頭が悪くなると見抜いていたのである。さてこの構図多くの企業で用いられている診断やパルスサーベイなども全く同じである。各種診断やサーベイは信頼性やカスタマイズ性を高めるために設問や種類ががどんどん増えている。そしてAIの活用や人的資本経営と組織開発といった経営的視点からの組織運営がツールを誓って頭の悪い社員を増産し続けているのである。
さて以前の記事では「子どもに『自分はダメ』と思わせる親の言葉」という記事に、自己肯定感の低さを日本社会の課題とし、その原因を親の声かけに求め、「疑問をもたせること」が解決策だと示していた。しかし、自己肯定感の高低を一概に善悪で語ることには違和感が残る。日本人の勤勉さや社会の安定を考えれば、自己肯定感は文化的・性格的要素も大きく、単純に高ければよいというものではない。また、「疑問をもたせればよい」という主張も、問いの質を無視していて説得力に欠ける。と疑問を投げかけた。
成長を止める愚問とは
この点でも示唆に富むのが、国語教育者・大村はまの言葉である。「本気で考えさせた人が一番偉い」「愚問は頭を悪くする」という二つの言葉は、問いが人を育てる力にも、逆に成長を阻害する力にもなりうることを示している。愚問とは、考えなくても反射的に答えられてしまう問いや、社会的望ましさを刺激して無難な回答を引き出す問いである。こうした問いは、本質への気づきを妨げ、結果として人の成長を止めてしまう。
意味を探さずにはいられない珠玉の問い
人を育てるのは、自己肯定感を操作する言葉や、形式的な「疑問」ではない。『奇跡の教室』に描かれたように、意味を探さずにはいられない珠玉の問いこそが、人を本気で考えさせ、内側から成長を促す。大切なのは、問いの量や形ではなく、その問いが人の思考と意味生成にどこまで迫れているかなのである。
