2021年3月28日日曜日

揺れ動く「思考」と「事情」

 先週の僕のブログを読み返すとそこには「事情」が潜んでいる。

個人的な「事情」であり、それが何であるかは触れないけど「思考」には常に「事情」が潜むものなのかもしれない。

一方、ポアンカレ予測を証明したペルリマン博士は数学者のノーベル賞である4年に1度のフィールズ賞を辞退するほど「思考」が「事情」を変えてしまったのだろう。

つまり「事情」⇒「思考」であるだけでなく、「思考」⇒「事情」でもある。

「事情」⇔「思考」ということだね。

要するに、どっちもあることだから、僕たちの「思考」も「事情」も信じているほど一貫していないってことだ。


(月)さようなら 全てのエヴァンゲリオン
庵野さんは声優に「25年分のさようならを詰めてくれれば」と伝えていた。

(火)経験を相対化することによって開ける良い社会
だからこそ、僕たちは経験を自由意志によって相対化する自律性を身につけなくてはならない。

(水)さようならヒューマニティ、こんにちはテクノロジーではいけない
僕が思うのは、僕たちはヒューマニティとテクノロジーが両立する社会を考えていかなくてはならないということである。

(木)AIに倫理を与えないもの
技術先行で原子力爆弾みたいなことにならなければよいのだけどね・・・。

(金)統計学よりも料理学の方が最強なのかもしれない
「データを料理する」という言い方があるように、データを扱う際には目的、材料、方法、手順、コツが肝要なのだ。

(土)上書き可能な経験と学習
なぜならば未来は限られた選択肢でなく無限の可能性ということになるのだからね。


煮詰まる