僕が直接確かめたわけではないので本当は違うのかもしれないけど、2018年3月18日のブログに僕は以下のような一文を書いている。
以前、スペースシャトルが打ち上げに失敗した時、世界中から科学者など専門家が集められたそうな。
その際、原因解明の第一歩においてコンテクストを合わせるために用いられたのはレゴという知育玩具だったらしい。
つまり、高い専門性において、どの文化でも通用するコンテクストとは、幼児の視点だったのだ。
ある番組の中でかつてレゴ社で働いていたReDアソシエーツ創業者クリスチャン・マスビアウは以下のように語っている。
”ブロックを使って物語や世界をつくるのです。そのための仕組みに過ぎません。”
そしてレゴ社での経験として
”複雑さをなくしたのではなくむしろ複雑さを増やしたのです。その結果、状況が好転しました”
のだそうだ。
さて、2016年に公開されアカデミー賞を多数獲得した「ラ・ラ・ランド」ではJAZZについて描かれている。
映画の中で、
”ジャズはニューオーリンズの安宿が発祥の地だった。そこは異国の人たちが多く集まるところで、言葉が通じなかったが、唯一通じ合う役割を果たしたのがジャズの音楽の始まりだ”
という台詞(訳文)がある。
JAZZもLEGOと同じく、異なる文化を越えて人々が通じ合う、コンテクストを共有する仕組みだったわけだ。
さて、僕たちの周囲を見渡そう。
僕たちは異なるバックグラウンドのなかでコンテクストを共有するためにお互いの共通点を探し出す。
趣味とか、出身地とかね。
だからコンテクストを共有しようと思う人は、お互いに自己開示をおこない、共通点で盛り上がろうとうする。
逆に、自己開示をせず、共通点に関心を持たない人はコンテクストを共有する意識が低いのだと思う。
で、ね。コンテクストの共有は協働意欲の必要条件だからそういう人とは一緒に働くことは無理なのかもしれないね。