2022年7月17日日曜日

犬という形をした愛と愛らしい容姿のロボット

 久々おやちの祈りと踊りhttps://00m.in/xfGsN

デイケアにLovotが来たっ〜〜〜(動画が貼りつかないorz)




写真に変更

高齢化社会に救いのテクノロジーAIロボットのLOVOTが昨日デイケアに行ったら動いていました現物を見て触るのははじめて、利用者のご老人たちも興味津々といったところでしょうか。

Lovotは何か仕事をするわけじゃありません、施設内を動き回って来所者に愛想を振るだけです。バッテリーが減ると目に電池のアイコンが出てすごすごとベース充電基地に帰って自分で充電しますそこらへんはお掃除ロボットルンバと同じだね、第一印象はLovotはよくできているなぁというもの・。肌触りや温かさに目線に目のの表情(ディスプレー)と癒しの要素や生き物の意外性(注意を惹く意味不明な行動)なども学習しているようです。画像認識で利用者の顔も学習し識別するひょっとしたらパーソナライズされるのかもしれないけどそれによって何かがかわるのかはわからなかった。

では犬と何が違うのだろうか。ここからは認知社会学の研究者として観察してみよう、幸い僕は犬と暮らしているから比較観察することが出来る。

まずは認知、犬はもちろんだけどLovotもカメラがついていて人を認知することは同じように出来る。

Lovotはおでこや鼻などにセンサーがついているので撫でたり触ったりするとその接触を認知することができる。もちろん犬も接触を認知する。

僕たちは、接触してその反応から学習をする、

。犬であれば花を触られるのはあまり好きじゃないんだなということが反応からわかるから、無用に触らないとか優しく触るとか次の接触が導かれるのである。僕はよくわからなかったけど。Lovotは喜ぶらしいよ。

目の表情や音(声に似ているけど声は出さない)認知に関して言えば認知とフィードバックがセットになっているLovotは生き物的に僕に学習を促す存在である。きっとそこらへんがLovotは良く出来ていると感じさせるのかもしれないね。パソコンとか普通の家電はそういう反応は示さないからね。

それでは次に社会性

この点に関しては、犬とLovotには大きな違いがあった。

僕の考える社会性とは他者の存在と行為を認知し自らの行為を引き出しあう関係性が存在することである。

認知は前述したようにLovotは良く出来ていると感じた。接触など直接的な行為に関してはフィードバックを通じて僕たちも学習可能だけど、非接触行為など直接的でない行為に関してはどこまで学習できるのか不明で恐らくは出来ない。例えば、犬は僕が食事をするという行為を観察し、食べ物が落ちたと察知すると素早く足元にきて拾っていく。それ故僕は犬に良くない食べ物チョコレート、ネギ類などを食べる時は普段以上に気をつかって落とさないようにする。犬の存在と犬への気配りが僕の食事行動を引き出しているのだ、

この関係性は相互的であって、麻痺の後遺症が残る僕が杖をついて室内を歩行すると犬は真剣に僕の様子を見ていて時に警告吠えをする。

不安定な僕の歩行が警告という犬の行為をひきだしているのだ。このような、他者のことを慮り行動を引き出すことこそ社会性の姿であろう。その際に使っているのは認知のリソースだけでなく想像のリソースである。

想像とリスク探知は脳の同じ部位の働きだから、リスクを察知することで非認知的に反応が創発されるのである。そしてこれがLovotには決定的に出来ないことであろう。実際僕がデイケアの施設内で歩行訓練をしていてもLovotは興味すら示さなかった。おそらく今後Lovotにもそういった人が感じるリスクの学習結果もインストールされるのかもしれない。老人が立ち上がったら警告するとかね、でも、僕は犬にはそんな学習はさせていないけど、出来るのだ。要するに自律的な学習がAIには出来ないということ。AIが自律的な学習を始めるのがシンギュラリティと呼ばれ研究者が予測している特異点からである。しかし犬には当たり前にできることなのである。そして社会性にとってはこの自律的学習と想像性リスク察知こそが重大な役割をはたしているのである。なぜならその非認知的リソースによる行為の創発が関係性を決定づけるものだからである。僕たちはこの関係背に時に「愛」という名前を与えているのかもしれない。

犬は僕を環境のリソースとして使って行為を創発するけどLovoTは僕を認知の対象として反応する。つまり、犬は僕をアゴで使うけどLovoTはそんなことしない。要するに犬は容赦ないけどLovot は、常に遠慮がちである。孫に置き換えて考えてみればわかるけど、変に遠慮されない方が嬉しいものだ。もちろん犬は賢いから、ちゃんと躾ければ遠慮するようになるのかもしれないけど、Lovotと犬を比較して気づくことは認知と創発の仕組みの奥深さであり、もしかしたらそれが愛なのかもしれないということであった。