僕たちは色々な場面で育てるという役割を担うことがある。
自分の子供の時もあれば人間以外の生き物の時もある、
しかし忘れてはならないのは僕たちは常に自分自身を育てる役目を負っていることだろう。僕たちは自らの意志で色んな環境に我が身を晒す、
そうやって僕たちは無意識にも自分自身を育てているのだ、
そしてそうやって獲得されるのが人格であり性格特性だ、
認知科学研究の第一人者鈴木宏昭先生によれば僕たちは競合する認知リソースの揺らぎから創発することで発達し学び、上達しひらめいているのだ、
僕達が色んな環境に身を晒す(友人を選ぶとか行動を起こすとか)際に大きな役割を果たしているのが確証バイアスだろう、言い換えれば信念による偏見ということだ、
成長や幸福が否定されえない正のマジックワードだとすればバイアスとか偏見は常に否定されてしまう負のマジックワードである。
では偏見とはその人固有の世界観であると言えばどうだろうか。恐らく多様な価値観同様誰も否定し得ないのではないだろうか、
偏見に対する偏見が僕は強くあるようにも感じている。
僕たちは固有の環境の中で固有の世界観を構築することを通じて自分を育てていく
僕達が我が身を置いた環境と観ている世界は一体であって分離することは出来ないだろう。しかし世界は僕たちが認知できる能力をはるかに超えて広い、要は僕たちは僕たちが認知出来る範囲で世界を構築しているのである。
しかしその認知リソースの有限性が偏見だというのであれば、それは倫理的には、人格やその中にある人間性を否定することにもなりかねない他者の人格にある人間性だけでなく自分人格のなかのの人間性も含めてね。倫理的に人間性への尊厳を払うのであれば僕たちは確証バイアスを悪者にすべきではない。
確証バイアスが自己組織化し集団的圧力となり、社会化することには十分に注意しなくてはならないけどね、だから問題は確証バイアスがあることじゃなくて連鎖して社会を歪めることなのだ。確証バイアスは僕たちに固有の世界観を構築させ性格を作り自分自身を育てる重要な役割を果たしている。そして、自分自身を育てる過程の中にも創発による学びやひらめきがあって、確証バイアスを更新してゆくのだ。つまり僕たちは自分自身を育てながら常に歪んだ世界を更新していくそういう存在なのである。
