朱子の「近思録」には人望に通じる「九徳」が挙げられている、僕は以前にも何回かこのブログで取り上げてきた
1.寛にして栗(寛大だが、しまりがある)2.柔にして立(柔和だが、事の処理が出来る)
3.愿にして恭(まじめだが、ていねいで、つっけんどんでない)
4.乱にして敬(事を治める能力があるが、慎み深い)
5.擾にして毅(おとなしいが、内が強い)
6.直にして温(正直・率直だが温和)
7.簡にして廉(大まかだが、しっかりしている)
8.剛にして塞(剛健だが、うちも充実)
9.彊にして義(強勇だが、義しい)
このような視点から自らの行為を振返ったとき、謙虚にならざるを得ません。TPOに応じて九徳があったのか、不徳ではなかったのか、問いかけは自然と深くなります。
一方アリストテレスの『 ニコマコス 倫理学』 には こう書か れ て い ます
徳 の なか でも 極めて 重要 なのが、 後 の 時代 に「 枢要 徳」 と 呼ば れる こと と なる「 賢慮」「 勇気」「 節制」「 正義」 の 四つ です。 これら は すべて「 力」 という 観点 から 捉える こと が でき ます。 人間 が もともと 持っ て いる 能力・可能性 を 高め て 現実 化 さ せ て いく こと が できれ ば、 より 充実 し た 在り方 で 活動 を する こと が できる。 その 充実 し た 在り方 こそ が 幸福 と 呼ば れる もの だ と、
双方を見比べると共通点が多いことに驚かされる。朱子は徳を人望から説きアリストテレスは幸福という人生の究極目的から説いた。
人望と幸福は別物だけどそれぞれにとって大切な徳は実は一緒ということなのかもしれない。「近思録」の表現はあえて「中庸」の大切さをわからせるために一対の表現になっているのに対して実はニコマコス倫理学でも、でも、「中庸は重要視されているので同等と考えて良いでしょう
