ウクライナでは相変わらずロシアの侵略が終わる気配は見えない。むしろこのところ欧米の武器供与を受けたウクライナの方が色々と優勢に立っているようにも見えなくもない一方国内に目を向けると安倍元総理の国葬に関する論争が起きている。犯人は政治信条に対する不満ではなかったらしいけど、水位では政治信条に対する不満が渦巻いているわけだ一方、アメリカに目を転じると、決して平穏ではない。石油欲しさにサウジに接近してみたり、国内ではまだ、トランプの影に怯えているように見える。これらの出来事すべてに共通するのは「国」とは何なのかという問いだろう。国とは、社会性が高度に機能化抽象化された表象である、だから国の実態を記述することはできない。国に関する記述で言えば憲法があるけれど、憲法は国ではない。国という社会の基本的なルールである。野球にもルールはあるけど、ルールが野球ではないことと同じだよね。国の実態で一番リアリティがあるのはは国民の生活だろう。国民がどんな生活をしているのかをみればその国が良くわかるしかし人間の脳には確証バイアスというのがあって自分の信念を強化する情報ばかりを取り込もうとする。だからフラットに(偏見なく)俯瞰することなんてそもそも出来ないんだよね。日本でもアメリカでも陰謀論が巻き起こりいつの時代もプロパガンダが止むことが無いのは。そもそも脳の仕組みはどの時代でもどの地域でも共通だからなのでしょう脳の確証バイアスは人間の生まれながらのものだけど、生まれながら信念を持っているわけではない、裏を返せば信念は学習によって獲得されるものであると言える。そこには報酬系、他者よりも得をしたいという本能もあるからやっかいだ。刷り込まれるだけでなく積極的学習が起りうるのだ。
自分は自分であるという自己認識だって脳の働き。つまり、脳の中にはいくつも矛盾した仕組みが併存しているのである。結局、陰謀も陰謀論、プロパガンダも僕たちの脳の中にあるということだ。誰かが作り出した論ではないだからそう考える人(自分)も居るよねくらいがちょうどいいのかもしれないね。
