僕が認知科学を信奉しているのはそのとても単純で合理的な考え方にある。
それは自然の摂理に通底するものだと感じる。
僕達や生き物はとてもシンプルな原理によってとても複雑に生きていているのではないだろうか。もちろん不用意な単純化思考は戒めるべきではあるのだが
僕たちはついその複雑さに目を奪われて物事をとても複雑に考えてしまう癖がある。
構成主義、表象主義というのがその典型で昔はホモンクルスという小人が脳の中にいるとまで考えたその考え方自体は鉄人28号をしょうちゃんが操縦するものと何ら変わらない。ガンダムのアムロレイもまったく同じだよね。今現在も脈々と生き続け受け入れられている発想である。
ガンダムも卓越した力を発揮するために、アムロレイはニュータイプといったそれまでの人間を超越した新しい人間を設定するしかなかった。
構成主義表象主義は常にこの入れ子(モビルスーツとパイロット)の発想に辿り着く。
しかし、このパイロット発想では昆虫などの生き物を説明できない。
脳は極めて小さいのに、様々な環境に高度に適応しながら蜂や蟻などは高度な社会性までも発揮している。
あれ?彼らのパイロットはどこにいるの?と探してもどこにも見つからない。
人間はこういった、説明がつかない状況に遭遇すると都合よく神様を登場させてきた、それは神が作り給うものということで、ニュータイプの登場もいっしょである、人は類推してしまう思考の働きによって、神様からニュータイプまであらゆる架空の力を妄想し創造してきたのだ。
しかし実際にニュータイプなんていやしないし、心の外で自由に闊歩する神様にも誰も出会ったことは無い。
もちろん蜂や蟻に行動の理をインストールしている神様もね。
一時は神様がDNAという緻密な設計図を書いたとも考えられたけど科学が進歩するにつれ、それも妄想だとわかってきた、DNAは生き物がウイルスなど様々な環境と融合してきた履歴書だったのだからね。生き物は環境のリソースを使って突然変異という奥の手を繰り出す。
だから明日突然アムロレイが誕生するかもしれない。今はいなくても明日はわからないのだ。そう考えるのも楽しいからね。
でも実際に誰もが観察可能な状態で目の前に現れない限りそれは、妄想だ。