素晴らしい晴天の日曜日朝、僕はふと出かけられる身でもないので。
朝ごはんの後、家で。パソコンに向き合いながら。
今度参加する辻仁成さんのエッセイ教室の課題エッセイをコーヒーを飲みながら推敲し、
ライフワークである。横断的アセスメント「鍵」と縦断型アセスメント「緯糸」の構想のブラッシュアップに勤しんでいる。
いずれにしても対価のある成果物ではなく僕自身の知性の結晶として取り組んでいるものだから誰彼に気兼ねすることもなく思いつくまま気の済むまで出来るものだ。
よく考えたらこんな素晴らしいことってないよね。
人の評価を気にしながら何かを作るということは自分らしく生きていないことの証だもの。
もちろん生まれた作品が評価されることはうれしいことだ、
自分の心が誰かの心に届くということはとっても素敵な出来事だからね。
でも、誰かの心を動かすために自分の心があるわけじゃないと特に脳卒中になってからはそう思う。だいたい他人の心を動かすために身体を動かせなくなったからね。
まずは自分の心がそこにあることが一番だ。そう思ったら、素敵な朝日が差す部屋で僕はいつもの椅子に座り小さなぱそこんと向き合っているのだけど、とても開けた場所で青空を眺めているような清々しい気分になってきた。いまここに自分の心があって動いているそれが何より嬉しい日曜日朝である。
まずは自分の心が動くことを