2013年7月2日火曜日

習っていないもの

いま、私たちの直面している仕事とは、その多くが、新しい要素を多く含んでいます。例えば、新しいお客様であったり、新しい課題であったり、新しい状況であったり常に、何らかの新しい要素と向き合いながら仕事をし、成果を出していきます。

新しい要素があるということは、それまでの経験を通じて力を発揮しなければなりません。「習っていないから」とか「教わっていないから」「わからないから」といって仕事を断っていたら、今の社会で仕事は減る一方です。少し前までは、平気でそれを言う人も居ましたが、最近の若手にそのような事を言う人は少ないように感じています。しかしながら、習っていないことをやり遂げる真の力を身につける事は容易くありませんし、採用、育成の場面でそのギャップに直面し絶望します。

「習っていないものを読んでわかるのが国語の力」と大村はまさんはおっしゃったそうです。そして、試験の得点などで、国語の力を見てしまう事で勉強そのものが見えず、力が実らないと指摘されています。「大村にとって、力というのは、複雑多岐に渡る複合体であるけれども、それぞれの力は働きかければ少しずつでも育つもの」(「大村はま 優劣のかなたに」苅谷 夏子著)というのもとても大切な視点です。

現在の大学生の就職活動において大学の成績はまったく参考にされていないそうです。これは、試験の得点が、学生の真の力の証になっていないことを暴いています。

仕事において、習っていないことをしっかりと遂行することを適応的熟達と言います。一方、習ったことを上手に遂行することを定型的熟達と言います。習っていない事を遂行するために問われるのは本当の仕事の力であり仕事を通じて学び熟達するものですが、そもそも、習っていないことに向き合おうとする姿勢が必要です。そしてそれは、本来であれば勉強を通じて高校生までに培うべきものでしょう。高校生、大学生においては、自律において力を実らせ、社会に出て花開くことが、社会の求めでもあるはずです。

「奇跡の教室」(伊藤氏貴著)では、力を実らせ開花させた著名人が、中学時代にその姿勢を身につける様子が描かれています。その姿に思いをめぐらせると、大学のキャリア教育でも使われる「社会人基礎力」を大学生や社会人若年層で問うには遅過ぎるのではないかと感じる次第です。



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