2014年1月7日火曜日

他者軽視と自尊感情の2軸

自尊感情と他者軽視の2軸で4つのタイプの有能感を説明するモデルがあります。
(「仮想的有能感の心理学: 他人を見下す若者を検証する」速水 敏彦 (著))

両方高いのが「全能型」、両方とも低いのが「萎縮型」。
自尊感情が低く他者軽視が高いのが「仮想型」、その逆が「自尊型」です。

「萎縮型」が有能感に該当するかはどうかとして、他者軽視の軸に「仮想的有能感」という心理尺度を設定したのは面白いと思いました。

そこでどう使えば良いのか考えてみました。

毒舌であだ名をつけてどん底から見事に復活した芸人さんがいらっしゃいますが、視点をかえると彼があだ名をつけることは社会的な笑いを創発する行為であることがわかります。

「ベースボールマフィア」「リズムアンド暴力」「子どもの皮をかぶった子ども」などなどネットで検索して差し障りのない範囲で記載してみますが、誰のことかわかるでしょうか。

この、他者に名前をつけるという行為に自尊感情と他者軽視が反映されているとしたら、あだ名をつける行為を「仮想的有能感」で説明できるかもしれません。

名前をつけるという行為は「名付け親」、英語では「godfather,godmother」と言われるくらい権威性があります。名前を付けられる立場よりも一段上、ワンアップであることは間違いありません。自分がワンアップするということは、自動的に相手がワンダウンすることです。

しかしながらワンアップ=他者軽視ではありませんし、その判定が自尊感情の高低に拠るというのもなんだか腑に落ちません。毒舌のあだ名には、「見下し」もあれば「反権威」の要素もあります。

最初、毒舌のあだ名と仮想型、全能型に関係性がありそうだと考えはじめたのですが、「名付け」と他者軽視を結びつけることはどうやら適切でないようです。


「仮想的有能感」という心理尺度の考え方は面白いのですが、初音ミクのような仮想現実(VR)や仮想空間をイメージ、さらにはおたく文化に対する見解が内在し、「仮想的有能感」という言葉自体がすでに、他者軽視の主観を反映しているように感じます。


尻に敷かれる薄っぺらいやつ