2017年10月7日土曜日

5つの異なるテーマのインクルージョンもしくはインテグレーション

今日のブログで書きたいテーマが5つある。

そんな日は珍しい。

1つ目は犬との暮らし
2つ目は「生きる」こと
3つ目は「対話」について 
4つ目は呆れた外国人観光客
5つ目はマインドシェア

明日以降のテーマにしようかとも思ったけど、えーい、全部書いてみる。

犬との暮らしは、糸井重里さんが愛犬ブイヨンと添い寝していることに思いだしたことだ。先代犬は高齢となり、夜中、不規則にトイレに行くようになると寝ている側にトコトコ来た。冬だったのでコートを着せて抱えて外に連れ出すのだけど自分の寝ている側に来ることがこの上なく愛おしかった。生き物が攻撃ではなくて自らにすり寄って来る姿に多くの人が好意を抱くけどそこにはやはり絆が感じられるよね。

「生きる」、はランチを食べたCafe Katyに備えている「生きる わたしたちの思い」という谷川俊太郎さんの本に言葉として記されたものだ。「生きる」言葉と、言葉は「生きる」こと。本には当然ながら色々な言葉が綴られていたけれど、表紙に記された「生きる」を超えるものはないと僕は思った。それ以外の言葉は「生きる」を飾り立てるものでしかないのだ。もちろんそれは言葉だけではない。

さて、昨晩参加できなかった自画持参、がちゃトークのテーマは「対話」だったそうだ。僕が「対話」的であると感じるはテレビのチャンネル決め場面である。僕はそっちが観たい、でも君はこれが観たい、じゃあ、これを観よう、みたいに選択肢を広げることで、それによって新たな番組に出会う機会を得ることだ。どちらかが一方的な自己主張をすると出会いの機会は無くなる。いいよ、自分は観ないから、と妥協することでもない。そのためには、選択肢が広がることは良いことなのだという信念と寛容さを持つことが重要だよね。

ところで、Katyでランチを食べている時、二人して高級カメラをぶら下げた欧米系外国人のカップルが入店して来た。おそらく観光客だろう。入店後、すぐにトイレに行った女性が席に戻ると、驚いたことにそのまま出て行ってしまった。トイレを使いたかっただけなのだ。お店は公共施設ではないし、日本社会の規範に沿っていない嫌な出来事だ。しかも出て行くときに「Thank you」の一言もない。旅行なのだとしたら、現地の人と触れ合うことのできない旅行をする人って心が貧しく感じられるし居住者だとしたら言語道断だね。

そして、僕たちは日常生活を仕事、家事、余暇など配分にしているけど、それが心の中にある想い、マインドシェアと一致しているとは限らない。この不一致は、欲求不満に繋がり思わぬところでイライラしたり落ち込んだりしてしまう。例えば、ある一人の女性が担う3つの役割、妻として、共同事業者として、個人として使っている時間と本当に大切にしたいこととの間にズレがある(やりたいことがあるのに他のことで時間が取れない)場合、その感情に蓋をしないほうがいい。

で、ね。以上の全てをまとめると「生きる」こととは言葉が無くとも誰かに寄り添い寄り添われ、我慢ではない対話を通じて他者と触れ合い信頼と選択肢を増やして行くことなんだよね。


まとまった!