2017年10月26日木曜日

性格の光と影 強がりに潜む「弱み」

僕だけに限らず、「性格」について語る時に「強み」「弱み」と表現することがある。

また、「得手」「不得手」とか言ったりする。

その結果、生まれる概念が「適性」だよね。

組織の人材戦略を考える際、構成員の「強み」で編成を行うべきで、「弱み」にフォーカスすることは間違っているから、「適性」は非常に大きな意味を持ってくる。

非戦略型(要するに手数的な)な人材活用では、「性格」よりも指先が器用とか応答が早いと言った「基礎能力」の方が重要だけど、戦略型の人材活用では、複雑な仕事を効率的、効果的に行ううえで「性格」の占めるウエイトが高くなるようだ。

例えば、管理職では問題解決能力が求められるけど、本質探索力、論理力、対人能力などの基礎能力は主体性、前向きさ、安定性など「性格」によってドライブされる。

管理職が他責、消極、衝動的では解決するどころかきっと問題を量産してしまう。

つまり、適性のある人材が適正な能力を発揮することが求められる。

逆にどんなに能力が高くても、管理職の人材が自分本位、興味本位、気分次第では人材戦略に「弱み」を配することになる。

では、「性格」ありきなのか、というとそこでちょっと話が怪しくなってくる。

そもそも「性格」の位置づけは、決定論的生来変わらないもの派と学習成長的変わるもの派、その中間派があり定まらない。

仮に「性格」が変わらないとしても、人は「経験」を通じて新たな能力を獲得するし、能力発揮の仕方も変える。

じゃあ、「性格」から来る「強み」とか「弱み」って何なんだ?

僕が色々な人のインタビューを通じてわかったのは、真の「強み」を語るときは影がなく、「弱み」を語るときはどこかに影がある、ということだ。

「強み」の如く強い光を放っていてもどこかに影がある場合などは、「あるべき姿」や「弱みを見せない」など正面からの輝きではない。

むしろ、「強がり」といった方が適しているだろう。

真の「強み」とは周りの人にとっては環境光みたいなものじゃないかな。


性格の光と影