最近は何でもデータとして集まるようになったのでデータから宝を探し出すことが大流行りだよね。
そしてデータから何かを作り出せるという、まるで錬金術のような空想を描く人も増えてしまった。
でもデータから探しだせるのはどこまでいってもデータだ。
欲しい宝があるのなら、宝たるデータを作らなくてはならない。
今、機械学習(巷ではAI、人工知能と呼ばれることが多いけど)で一番問題なのはどんなデータを学習させるかであって、機械が錬金術でないことは明らかだよね。
さて、何れにしてもビックデータと宝探しから日々、新しい知識が発見されている。
知識は、誰もがその利益を享受することができるものだ。
その一方で人によって活かせたり、活かせなかったりするものもある。
例えば与えられた知識や、自らの行動を通して得られた経験においても気づきのある人とそうでない人がいる。
なぜならば、気づきには、前提、タイミング、文脈が必要、とてもパーソナルで、しかも偶有性が高いからだ。
知識が皆の行動を導くものだとしたら、気づきはその人のみの行動を変えるチャンスだ。
そして、僕たちには知識も気づきも両方必要なんだよね。
みんなのもの、ぼくのもの