確か、僕たちが常時取得している情報の70〜80%が視覚からだったはずだ。
それゆえか、状況や状態を情報化することを「可視化」と言うことが多い。
ただ「可視化」と言うのは、写真を撮る話ではなく、データとして実証的に把握することを指す。
この「可視化」には文脈があって、大きくは「本当にそうなのか」「正しく行われているのか」と監査することが目的の場合と、解決すべき課題の「可視化」つまり能動的な行為行動を引き出すことが目的の場合だ。
監査が目的の場合、「不信」が背景には横たわっているよね。
もしくは、「上から言われて仕方なく」とか「法律の決まり」でというケースが少なくない。
要するに、「可視化」されていなければチェックできないのだ。
行為を引き出す「可視化」は生きる知恵に根ざしている。
「よりよく生きる」ために新しい視点を生み出す役割を果たすのが「可視化」だ。
「可視化」の議論をしていると、「よりよく生きる」と思っていたことが実は「上から言われて仕方なく」に議論がすり替わって行くことが少なくない。
そんな時、僕は「よりよく生きる」ことを諦めたくないと強く思う。
性善説性悪説と言うのがあるけれど、善い悪いの話でなく、生きることを実感し続けるのだ。
よりよく生きる可視化
