2017年12月26日火曜日

ぶつ切り文化からひらきの文化へ

僕は人生って魚のようだと思うことがある。

秋刀魚のようにシャープな人生もあるし、鮟鱇のようにどっしりとした人生もある。

鰻のごとくニョロニョロした人生もあれば、真鯛のようにめでたい人生もあるだろう。

さて、僕たちの人生を魚に例えるのなら、社会はまな板で、社会制度は調理のようなものじゃないだろうか。

「舞台」と言えば聞こえがいいけど、逃れられない状況の中で身を委ねている部分もあるからね。

例えば、教育制度などは、保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、大学院と切れ目が多くある。

魚の調理で言えばぶつ切り状態だ。

ぶつ切りを乗り越えることによる「成長」もあるけれど、身を委ねている場合はそれまで経験や学びが文脈を失うこともあるだろう。

僕は、経験や学びの文脈を包み込んでいる皮をひらき、身をさらすことには大いなる意味があるのではないかと思う。

なぜなら、経験や学びは成長の「資本」だから、見える状態にあっていつでも使える方が良いからね。


どんな人生?