2018年12月6日木曜日

「役に立つ」という言葉の背後に潜む影

大学生と就活の話をしていると、具体的に何の仕事をしたいのかははっきりとしないけど、人の役に立つことをしたいという学生が多いように思う。

それ自体、否定されることではないのだけど、役に立つ、立たないってどうやって線引きするのかを考えると実はかなりブラックな言葉だよね。

例えば、もし僕が先生で、役に立つ教材をありったけ揃えて役に立つ生徒の育成に力を注いだとしたら、それは教育というより強欲に写るかもしれない。

なぜかといえば、役に立たないことには価値が無いと決めつけるのに等しいからね。

僕たちは小さな頃、役に立たないものを使って自分の世界を広げていた。

そうやって僕らは自分を主語としてあまり役に立たないと思われる様々なことを「役立てる」能力を磨いていたのだ。

ところがある時、「これは将来役に立つから」という他者が主語の言葉を上書きされる。

それによって「役立てる知恵」よりも「役に立つ」「役に立たない」が物事の判断の基準になるのだろう。

人に喜ばれる、役に立つ仕事をしたい、と考える学生は、裏を返せば人があまり関心を持たず、役に立たない仕事はしたくないと線引きしている。

そこに自分を主語とした 「役立てる知恵」は見当たらない。


これっ (-.-),,oO(役に立たないけどね)