昔、萩本欽一さんの番組で「欽ドン!良い子悪い子普通の子」という番組があった。
当時は番組を観て笑っているだけだったけど、今考えるとこれは哲学であり禅にも通じるとても大きなテーマだったのかもしれない。
善悪と中庸は、思想・思索の世界では常に問われ続けていることと思うからね。
さて、人と組織の間では、古より適材適所という概念がある。
ある場面でもっとも適切な態度・行動をとれる人をそこに置く、ということだね。
経営論的かつ機械論的に考えれば、最も良い部品を配置することだ。
一方、社会の複雑性、多様性を考えれば誰にとっても生きる意味を感じられる配置をすることである。
前者においては、要件定義と良品不良品のクライテリア(判断基準)が求められる。
後者においては、自律的に貢献する態度と多様性を受け入れる土壌が求められる。
組織活動は他者に打ち勝つ闘争だと考えれば前者になるし、社会全体ひいては自然の一部にあると考えれば後者になる。
長期的、全体的に見れば前者は格差・断絶・差別を生む悪い子で、後者は普遍的・持続可能な社会を生む良い子だ。
そして現実的には僕たちはその狭間で揺れ動く中庸な普通の人なのだけど儒教では中庸は徳を積み天命を知る道なんだよね。
「欽ドン!良い子悪い子普通の子」では、普通の子が最後に来ていて良い子と悪い子を見て普通であることを知ることが繰り返されている、とっても奥深い番組だったのかもしれないね。
中庸が肝心