2023年8月7日月曜日

「遊び」はなぜ「学び」が溢れているのか。遊びながら知識を生み出すハイパフォーマー。事例クレクレ君にハイパフォーマーは居ない事実。

私はこのブログで何回となく「遊び」について書いているその時引用するのはいつも

 「遊びは、その活動そのものに内在する報酬を求める以外に、どんな動機によっても動機づけられない。」(M・J・エリス)という定義である。フリーマン理論を用いて脳科学的に推察するならば脳の辺縁系で発生する大域的アトラクターのうち報酬系側坐核を経て前頭前皮質に至る神経回路を強く刺激するものということになるのかもしれないこの脳の報酬系は依存にも関わっているとされるので遊びはなかなか止めることが出来ないのも道理だ。そもそも報酬系は辺縁系由来なのだから、遊びには気づきや発見が満ち溢れている事実にも納得がいく。スーパーマリオにしろゼルダの伝説にしろ、ファイナルファンタジーにしろゲームに熱中する、子供たちは、ゲームの中で本当に多くの発見をするよね、むしろ、ヒットするゲームは必ず上手くゲームの中に秘密を隠して発見させるようにデザインされている。ゲームが内在する「問題を解決せよ」という定言命法を通じて、自らに報酬を与えながら、没頭、熱中時には依存していく構造がそこにあるのだ。脳の中で明滅する大域的アトラクターという「気づき」は認知的変化即ち「知識の生成」つまり「学び」である。こうのように、「遊び」「没頭」「気づく」「学ぶ」という連鎖は切り離すことが出来ないものなのだ。さて、この事を踏まえて世の中を眺めるとハイパフォーマーと呼ばれる人ほど遊び上手なことに気づけるだろう。ハイパフォーマーは遊びながら学んでいる(知識を生産している)のだ。一方で、知識は与えられるものであるという素朴理論に染まっている知識の消費者・事例クレクレ君ほど、「遊び」(「学び」)が苦手だとも言えるのではないだろうか。

模倣も大切な学びの遊び。