2013年4月3日水曜日

制度やウエイの落とし穴 制度は他者性、ウエイは利他性を現す

論語に以下の一節があります。

子曰、人而不仁、如礼何、人而不仁、如楽何、(「論語」)

大雑把には「」(他者にたいする優しさとか情)が無ければ「礼」も「楽」も意味がないよ、という意味です。
孔子は、「礼」と「楽」※を重んじました。何のために重んじたのかその背景に関しては、以下の説明がとてもわかりやすいです。

”ローマ人法律でものを決めて、きちんとものを決めてゆこうとするが、支那人は礼の方で生活を規定しようとする。礼とか、楽とかいって、それをなかなか支那人、漢人は喧しく言う。ローマ人は法律でやる。ローマ人は差別が好きで、法律を喧しく言うが、支那人はローマ人が法律で決めるところを礼で行こうとする。その点が支那人はローマ人よりも心理的で、審美的で、内的であるといってよい。”(「無心ということ」鈴木大拙著より抜粋)


※楽 音楽。礼儀と並んで人間の要儀・品性を整える

ローマ人と支那人・漢人の対比になっていますが、生活を規定する、つまり、社会性を保つための合意作りに関して、大きく「構造的・機能的・外的なもの」と、「心理的・審美的・内的なもの」に二分して考えることができる、ということです。

この二つの立場は現代社会において、混在しています。例えば、会社組織では、就業規則など制度の枠組みがある一方、行動規範などを作って、気持ちのうえでの一体感を醸成しようとしています。もう、徹底的に合意したい感じですね(汗)。実際、合意は大変・・・

この二つの立場、他者性と利他性の違いがあると思います。
そこには、自我と他者の分離、統合(融合)の観点があり、二つの観点が生まれるのは、評価・分析・判断の分析脳と、観察・感情・期待の共感脳が同時に働かないことに原因があるという仮定を持っています。

ルールに沿うのは分析脳を使って、他者に貢献するのは共感脳を使って私たちは社会性を作り出そうとしているのでしょう。

ところが、分析脳を使って貢献しようとすると損得が出て面従腹背になるし、共感脳を使って人事考課をするとバイアス掛かりまくり、評価結果の信頼性が失われます。そして、それは社会や組織に混乱を生む、非常に日常的な出来事です。




分析するところで共感しない
共感するところで分析しない