2019年6月16日日曜日

生命は自発と適応の狭間にある

気がつけば先週もあっという間に過ぎていった。

明日からまた新しい1週間が始まる。

その前に、先週を振り返ってみるのもよいかもしてない。

このところずっとやっていることだし、僕自身、それほど目新しくも無くなったけどね。

以下がブログのタイトルと結びの一文だ。

(月)「経験」が研ぐ人の器用さ
ゆえに魅力的であっても、時に物足りなく感じるのかもしれない。

(火)西洋箪笥から引き出されるもの
そう、小引出しの西洋箪笥には、その凝縮性とは別に「引出し」が僕たちの想像を駆り立ててくれているのかもしれない。

(水)言わぬが花のコンディションを知る
具合の悪い犬に元気パワーを送りたくて写真を撮るのだけど、どうやら本当にご利益があるみたいでちょっと感動しているのだ。

(木)大切なことなのにお金を掛けない? それは本当に大切なことと考えていないから?
それをしないのであれば、それは大切じゃないからなのかもしれない。

(金)人を見る目の育て方
もちろん、原始的な力の影響が全く無くなる訳ではないけど、ちゃんとした採用活動に携わることで会社の誰もが納得する人材を見極められるようになるのだよね。

(土)なりたい自分になぜ出会えない
そして、先天的利己性で後天的利他性の人は周囲や環境に合わせながら自分のやりたいことが無いことや、やりたいように出来ないことを悶々とするのではないだろうか。

僕の1週間は「経験」で始まり、「引出し」「自身のコンディション」「本当に大切なことへの向き合い方」「人を見る目」そして「なりたい自分について」で終わった。

それらを眺めると、どうやら僕は、経験から引き出されるものと、本当の自分から生み出されるものを考えていたらしい。

僕たちは、自発と適応の狭間に生きている。

だから、生きながら、「こうありたい」「こうしたい」と「自分とは何か」「よりよくどう生きるのか」を行ったり来たりするのだろう。

で、ね。僕は自分事に向き合いながら「生命」を考えているのかもしれないね。


自分を生きている?