2019年6月29日土曜日

ご褒美がいっぱい、の世界を目指して

僕たちが生きていけるのは、僕たち以外の命のおかげだよね。

食べるものどころか空気ですら僕たちには「恵み」が与えられている。

「恵み」の言い方を変えれば「ご褒美」でしょう。

要するに、僕たちが生きることは「ご褒美」のおかげなのかもしれない。

このような死生観はおそらく全ての信仰で語られていて、でも、意識しないと気づけずに一生を終えることになる。

それは僕たち自身が何某かの「ご褒美」になっているからでしょう。

さて、生きる「ご褒美」と社会での「ご褒美」にはちょっと違いがあるように思う。

「生きていく」ことと「誰かのために役立つ」ことにはやはり違いがある。

なぜなら、母子関係以外で「誰かのために役立つ」ことを思い起こすと、それは自分だけが「生きていく」ことよりも高次な状態だからね。(母子関係は生き方のお手本だね)

「高次」は難しい言葉だけど、社会全体でのより多くの「充実感」と言い換えると良いかもしれない。

ところで「ご褒美」は僕たちが一生懸命、悩みながら踠きながら生きていることに与えられるものだ。

もちろん「ご褒美」とはお金のことではない。

自分自身がどれだけ充実した日々をおくれているのかという「実感」でしょう。

だって、お金は虹の橋に持っていけないものだからね。


僕はね、世の中に「ご褒美」をもっともっと増やしたい、そう思うのです。


これは僕へのご褒美