2019年6月7日金曜日

あきらめの等価交換? 学びの錬金術を考える

今晩、僕は久しぶりに自画持参に行った。

最初から、あきらめていたのだけど、別の件があきらめモードになってあきらめなくて良くなったのだ。

そこでふと考えたのだけど、僕たちは選択的に経験を積んで学ぶ生き物だ。

物理的に同時に別の場所に存在することはできないからね。

つまり、常に何かを得るためには何かを犠牲にしている、ということ。

例えば、学校に行けば、社会で学ぶ機会を犠牲にすることになるし、その逆も然りだ。

もちろん、時間をうまく配分して、平日は仕事、休日は学校で学ぶこともできる。

でも、それは正確に言えば「同じ時期」であって「同時」じゃない。

さて、今日の等価交換で得た学びは何だったのだろうか。

自画持参にはだいぶ遅れて行ったので参加せず、傍観していた。

「令和」というテーマをそれこそぼーっと考えて見たり、参加者がスピーチしたり対話したりする様を見て頭の中に問いを起こしたり、ちょこっと口を挟んで見たりと、ビールを飲んで大好きなミートソースを食べながらゆったりとしていたのだ。

改めて、学びを問うと、傍観しながらも、改めて、あきらめモードの件を振り返っていたように思う。

そして、まだまだ自分のモチベーションを高めることができることに気づいたのだ。

もし、あきらめモードになっていなければ、きっと、そんな時間は過ごしていないし、疲弊した頭と肉体で摩滅していたかもしれない。

そして、物理的に別の場所に存在できなくても、同時に想いを馳せることはできることにも気づけた。

で、ね。それがいつでもできるようになれば、きっと僕は錬金術師のように日常から「金」を生み出せるようになるのかもしれないね。



雨の日に青空を想う