結論的には信念を持って過去との決別(清算)と覚悟と学習(学び直し)すなわち新しいことに挑むことこそ苦難のめぐり合わせから再起する旅路である
僕は今リハビリ病院に入院し再起への旅をしている、さながらりはびり病院は鉄道汽車のようなものだね、同じ汽車に乗り合わせる人は少なくなく。作業療法室や理学料違法室では多くの乗客と行き交うことになるまた、食堂や風呂場でもそうだ。しかし夜になると病院はその進行を止め静かに眠りの床につく。そうするととなりの客室病室から乗客の話し声が聞こえてくる身内に迷惑をかくたくないからこの列車から降りたくないとか、乗務員(看護師)の物言いが厳しといったようなものや。遠い母国の家族に電話で話す声とか乗務員同士の歓談とかね。
さてそんな夜もあるけど大概は明日の旅路に向けて深い眠りにつくのだ。
さて乗客の中にはセンスの良い人が居てある初老のご婦人はある女性の作業療法士にメーテルというあだ名をつけた。あの銀河鉄道999に出てくるメーテルである。確かにこのリハビリ鉄道は乗客にバイオニック・ジェミーみたいな進化させてくれる機械の身体をくれることはないけど。療法士たちは乗客である僕たち患者がピカピカになる未来へ優しく手取り足取り誘ってくれるそして僕たちは夜暗闇の中で本当の幸せってなんだろうと考えるようになる。
人生に苦難はつきものだ。不思議なことに僕の人生は良いことも悪いことも複数が同時に起こる傾向があるそういうめぐり合わせなんだね。今回は会社の卒業と同時に脳溢血になった、卒業というと聞こえが良いけど株主総会での取締役再選は無いと昨年末に通告されていたので実質戦力外構想まあ、あえて自虐的に言えばクビである。そして、ほぼ同じタイミングで脳出血をおこして左半身が麻痺し現在リハビリ病院鉄道に乗って旅している。それ以前も銀行を退職し結婚して家業に就いた途端に社長であった父親が病死したとか、転職して執行役員に就任した直後に離婚したとか社長に就任した途端にに東日本大震災が起きてその3日後に母親が亡くなったとか、さすがに変なめぐり合わせが多すぎる気がする。震災と移転そして横槍に辟易として会社の代表を退任した際には新システム開発着手とMALL経営学習研究所を通じた出会いが僕の再起となった。今回は特に極め付きかもしれない。でもこれまで僕その度に再起してきた、しかしどのようなめぐり合わせにおいても変わらないのが大学の時の産業社会学組織論と師との出会いで得た信念である。僕はそれを今でも運命と感じている。さて今回も無事にリハビリの旅路が進んでいる。あの日突然立っていられない立ち上がれないことからはじまった脳疾患だけど、今は立ち上がって立っていられるようになった文字通りの再起である。先日はコーヒーを挽いて入れて飲んで立って後片付けまでしたよ。振り返るに今回ももちろんこれまでも再起は決して常に順風ではなかったけどね、今回も再起に向けて目下更に悪戦苦闘しながらリハビリ鉄道進行中という新し旅路にに取り組んでいるところだ。
そういえばこの前実家のお墓の墓誌の写真を観ていたら祖父が亡くなったのは僕が生まれた年の1月1日正月、そういえば脳溢血だったと親からきいていたなあ、もしかしたら脳溢血は遺伝だったのかな。でも祖父と違って僕は今生きている僕の体よありがとう。そもそも生まれる前からそんなめぐり合わせが僕の人生であるようだ。今回緊急搬送された聖路加国際病院は僕が出生した病院であるというのも不思議なめぐり合わせだよね、でもこんな人生を送ってきてつくづく思うのだけど。結局どんなめぐり合わせにおいても前を向いて一歩踏み出す旅路である。ことが全てなのである。それを言い換えると冒頭のようになるのだ、むぐり合わせをoutsideViewだとすると、その時僕の中でおきていたinsideViewなのである。僕はこれまでめぐり合わせた状況の変化に対して内面を変化させて乗り越えて来たのである。それは今回のリハビリ鉄道でも全く一緒だ。療法士によってやり方施術が変わった場合でも対話を通じまずは自分の内面を変化させリハビリに向き合って一歩づつ前に進んでいる前に勧めていないときはその理由は結局自分の中にあるんだよね。ぼくの再起の旅路はこのリハビリ病院鉄道でも全く同じで信念と感性という軌道の線路の上をガタゴトと前に進んでいくのだ。昨日の夕方メーテルさんに退院日の報告をして少し話をしながら。銀河鉄道の夜とか銀河鉄道999を思い起こしてリハビリ病院鉄道の夜をすごしていたらこんなブログになりました。そして、リハビリ病院鉄道の夜が明けて今日の新たな旅路がはじまりました。