真っ白なスケッチブックに正解なんてないことは誰でも知っている。しかしなぜかそこに正解があるかのように誰もが考えがちだよねそうなるとなにを描きたいかよりも、どう評価されたいかが起点になってしまう。初めから自分の大切なことではなくて誰かの大切なことが正解だと考えてしまっているそれはとても不幸なことであふ。誰かが大切にしていることなんて無限にあるし、しかも。それは自分にとっても大切であるとは限らない。自らの無限の可能性に自分で手枷足枷をはめるようなものだろう。自由意志の放棄である。哲学や神経科学では人に自由意志はあるのかという議論や研究が昔からなされてきていてその中には自由意志は幻想であると考えると人はモラルに反した動向を示すことが多くなり、不正な行動が増え他人に協力することをやめるという研究結果もある。その研究結果が正しければ真っ白なスケッチブックに正解を求めた瞬間に人は倫理的に破綻して為すべきことを見つけられなくなってしまうのかもしれないね。さて人(自分含め)の未来の可能性は真っ白なスケッチブックと一緒である。だから偏見や差別思い込みや決めつけ他認知バイアスは社会のあるべき姿(倫理的責任)を破壊して行くのでしょう。もし組織に不信や性悪説やバイアスが根付いているとしたらその組織があるべき未来に向かって進んでいくことは出来ないだろう。
僕は60歳にもなるし今回中途障害者にもなっったけど、僕が僕自身の未来に対して無限の可能性を否定してしまったら僕はの自分の未来に対する自由意志への信念を放棄することになり倫理的にも 破綻することになる。だからこそ僕はスケッチブックを持ち歩いて創造性を発揮して。白地に絵を描き続けていくのだ。なんとかなるさという楽観も需要だけど何でも出来るさという創造的態度は未来に対してもっと重要であるようだ。
ここに正解はないが自由意志はある