僕は脳卒中で中途障がい者となり。自宅での入浴が困難なことから、デイサービスを利用する様になった、デイサービス、そこはまさに高齢化社会の縮図である。リハビリ病院での入院生活もそうだったけど以前の僕にとっては二重の越境体験でえる。今まで踏み込んだことのない環境への越境と。自由にならない身体性への越境である。そのいづれも気持ちよいものではない。もやもやしたり不安になることばかりである。病院もある意味医療サービスであって、いづれも僕はサービスの受益者なので身を委ねていれば事は済んでしまう。ある種遊園地のアトラクションと一緒だよね。乗り込むだけ。しかし誰かに身を委ねきってしまうと言う他人事化は僕が僕の人生を手放すということにもなる、サービスは受益するけど決して主体性は失わないそのために必要なこと対話と学習である。そこで僕が選んだのは学習のためのサービス選択である。それはときに集団行動に背くことにもなる時間の使い方は僕が決めるのだ。サービス提供者は通常この主体性をもとめることは当事者の負担になると考えるのか受益者の不利益にになると考えるのか、サービスメニューを充実させ参加を強いるまあ、そういう教育を受けて身体知を重ねて来たひとたちにとっては当然の論理的帰結なのかもしれないね。僕に主体性を損う予定調和を求める僕は身を委ねるためにお金を払うつもりはないからリハビリには療法士との対話とスケッチブックとパソコンをデイサービスには読書の内職とDSの脳トレを持ち込むことにした。昨日のデイサービスでは、kindle版の本を2冊購入して読み始めた(kindle万歳)1冊目は尊敬しファンである法政大学長岡健教授の「みんなのアンラーニング論もう1冊は世界は関係でできているという量子論の本である。今回の高齢者向けサービス、障害者生活への越境というよりもはや移住でも学び続けるヒントになりそうだからね。我ながら素晴らしい選書であった。この2冊の素晴らしい本に関してはまた別途レビューしたいと思う。実は今並行して読んでいる紙の本もあるのだけれどこれは厚くて重いのでデイサービスに持ち込むのは躊躇われるのだよね。かなら難解な本だしね。地の探索をしている限り僕は僕の世界でサービスに身を委ねていても主体性まで手放してしまうことはないからね