僕は6月15日に脳出血で緊急搬送されて手術を受けその後のリハビリ含めて6ヶ月を病院で過ごした。患者にプロもアマチュアもないけど。患者のプロとはかくあるべきか語る資格は十分あるのではないかと思う。僕はリハビリ含めて2つの病院に入院したけどいずれの病院でも、看護士療法士医師は皆国家試験を通った資格者でありその道の熟達者である。筋金入りのプロフェッショナルだ、それらの人の共通点は、高い職業意識と倫理感を持って自分がなすべきことを的確に行ってくれることである。一方僕は患者として高度な医療サービスをひたすら受けることになったわけである。プロフェッショナルに興味関心がある僕は、どのようにして。プロになったのかキャリア選択の動機含めて色々とインタビューもしてみた。
さて、僕は嫌われる勇気の著者岸見一郎さんの最高でなく幸福について語ろうを読んでいたら幸福は外に現れると言う一節があって。ご機嫌、丁寧なこと親切なことであると書いているこれは三木清の人生論のーとからの引用らしい。この幸福の表現は僕が今回の入院でお世話になった医療従事者共通の特徴でもある。一方で、僕と同時期に入院していた患者の中にはやたら不機嫌でどなりちらしたりしている人なども居た僕はそういうことをしなかったたけど、気になることはつたえさせてもらった。つまり患者のほうが幸福ではないわけだ。だからといって医療従事者が皆幸福かと言うこともできないだろう。しかしながら、不幸な境遇にいる患者を幸福にするプロフェッショナリズムがそこにはあったのだ。だから僕は同じ空間を構成する仲間としてリハビリ病院鉄道という表現を使ったのだ。幸福な空間を作る仲間としてね。
だけど僕は患者のプロとして幸福が外に現れなかったと思うそれは病気入院だから仕方がないよね。心配もかけたし多々世話もしてもらった。まあ、障害を負って自立出来ない僕はでき無いこと、困ったときはちゃんと助けを呼ぶのが患者のプロであるも言えるのかもしれないね。要するにプロフェッショナルとは相手が一番必要としていることを表現出来る人よいうことなんだろうね。