2024年1月13日土曜日

 人はデータの羅列ではない

 そんなことわかりきっているじゃないかといいつつも、データ唯物論が幅を効かせているのが現代だ。例えば、血液検査をすればとてつもなく多くのデータが出力される。でも、名前を伏せてこれが誰のものかとなったとき当てられる人はいるだろうか、犯罪の捜査で使われるDNAだって、照合する本人のデータがなければ無意味である。人に関するデータはあくまでも人の従属物なのに、持ち主から切り離して使われることがあまりにも多くはないだろうか、NYタイムスがOPENAIやマイクロソフトをただ乗りだと提訴したが、NYタイムスの記事だって、元の持ち主から切り取ったものではないか。新聞社が記事の当事者に売上の一部を還元しているという話は聞いたことが無い。だからnyタイムスの主張は正しくは私たちのただ乗りにただ乗りしているということになる。いずれにしても数値であっても記述であっても、実体から切り離されたデータは実体では無いにもかかわらずデータが人のエイリアスであるとして利用するケースが多いように思われる。本来はもっと瑞々しい人の在り様に心を向けるべきなのであるが。