智慧と申しましても、これに三種あるといっております。聞慧と思慧と修慧との三慧がそれです。すなわち第一に聞慧というのは、耳から聞いた智慧です。きき噛りの智慧です。智慧には違いありませんが、ほんとうの智慧とはいえません。次に思慧とは、思い考えた智慧です。そのいわゆる哲学することによって得た智慧が、この思慧に当たると思います。だから思慧は哲学の領分です。次に修慧とは、実践によって把握せられた智慧です。自ら行ずることによって得た智慧です。したがってそれは宗教の領分です。語るよりも歩むというのがそれです。だから三慧のうちで、この修慧がいちばんほんとうの智慧です。
TakagamiKakusyo,Niche,MikiKiyoshi,AkutagawaRyunosuke,KurataHyakuzo,Dostoevski,ArishimaTakeo,NatsumeSoseki. IkikatawoKangaeruHon (Japanese Edition) (p.28). KotenKyoyoBunko. Kindle 版.
この考えは、認知科学の知見にも通じている。聞慧は情報として保持された知識であり、高次脳機能で言えば記憶が担うものだ、思慧はリフレクションにおいて得られる本質への気づきに該当するより深く考えることで、生成される知識である。高次脳機能の、注意が大きな役割を果たす。修慧は身体化された知識である。さて、私達が行ずるためには、目的を定めて算段を組んで行動することになる。その一連のプロセス自体が知識となって身体化されいかなる状況においても引き出すことができる高度な知識が身についたことになるのだ。脳の基本的な機能が記憶注意遂行という3つで構成されているのは偶然では無いのだ私達はこの3つの機能を組み合わせる三つの機能の包摂コレクションで三種智慧を駆使してので困難を打開して文明を築いてきたのだ。
