かつて 社会のモンダイ→ゲーム←デザインという記事でゲーミフィケーションを用いた社会課題の解決について書いたことがある。久しぶりに読み返して気づきもあったのでもう一度引用しながら書いてみよう。記事はワークショップに参加して書いたものであるが
全てのゲームに共通するのは
”プレイヤーはゲームからモンダイを解決せよ命令される” というゲームの核心ルールを知り、ゲームとは「モンダイ」への挑戦、そして、ゲームに関わるプレイヤーと制作者の立場の違い、などを学びゲームデザインを考えるワークがありました。
そして、ゲームが提示するモンダイには、「解決できることが保証されている」かつ「モンダイと共に解決手段を与える」でも「必勝、楽勝でもつまらない」そして「失敗する可能性が欲しい」「選択のジレンマがあればよい」などなど共通点を学びました。
実際にある嵌るゲームを題材に
1.モンダイが明確
2.解決手段が手軽
3.行動への反応が明確で達成感がある
4.常にモンダイの状態が変化し続ける
5.常にもっと速度は上がるはずだと思う
6.常にアイテム購入は苦しい(ジレンマ)
といった特徴によって自然とゲームに引き込まれる、実はかなりデザインされたものであることがよくわかりました。
一さて方で社会の問題にこんなデザインは施されていません
そもそも社会の問題は表象的なモンダイから真のモンダイ、モンダイの二重性に至るものがほとんどです。まずは問題が不明確で複雑です。解決手段も手軽にはありません、社会問題は複雑で多様な関係性から創発するものであると考えると意図不在、還元不能なので解決手段はそもそも無いのかもしれないのです。
表象的な問題解決だけでは真の問題解決はできないのです
”社会のモンダイを考えることは人々の幸福について考える事になる”。それはアリストテレスが言うように幸福とは最終(究極)目的だからなのです。
ます。「 幸福 に なる」 という 最終 目的 は、 その 手前 に ある すべて の 行為 に対し、 常に 意味 を 与え 続ける 機能 が ある。 そういう 意味 で「 究極 目的」 だ と アリストテレス は 言っ て いる の です。K 100分 de 名著 アリストテレス『ニコマコス倫理学』 2022年 5月 [雑誌] (NHKテキスト) (p.45). NHK出版. Kindle 版.
故に社会問題の解決において生じる人々の幸福についての智慧(聞慧聞いたり・想慧考えたり・修慧行うこと)には常に意味があるのです。
だから表象部分であっても一部でも構わないのでデザインを施し問題の解決に取り組むことに大きな意味があるのです。
そして部分解決を前提として。ゲームという問題解決のデザインを用いる(ゲーミフィケーションする)のであれば、以下の要素を上手く配することが必要になるのである。
モンダイが明確であること
プレイヤーが何かしたくなるようにしむける
試行錯誤が楽しめる(ゲームらしさの部分)
必勝法が存在しない(正解がわかったら作業)
遊ぶたびに違う状況がうまれる(何回やっても面白い)
最後まで決着がわからずハラハラする
しかし解決に向けて手応えが感じられる
それまでの結果が累積して行く(達成感をいっそう感じられる)
未解決感がいつも残っている(プレイヤーが嵌る)
