「働く」とは「傍をらくにすること」という説がありますが、私が興味があるのはそういった情緒的な話でなく、「働く」という行為です。
そして、「働くこと」とは、行為をメタ認知する態度を示しています。
「私が働く」ってなんだろう?
では、「働く」とは、どのような行為なのでしょうか。蟻のえさ集め、蜂の蜜集め、鳥の巣作りなどなど、人間以外の生き物にも「働く」行為があります。「生きる」「子孫を残す」など自分自身や自分の属する種の継続、保存のための行為が「働く」と認識されます。
一方で、「働く」と認識されない行為の代表は「遊ぶ」です。(「遊ぶ」以外に「祭る」などもあるでしょう)
「遊びは、その活動そのものに内在する報酬を求める以外に、どんな動機によっても動機づけられない。」(M・J・エリス)という定義に則って考えると、「働く」とは外在する報酬を得ることで動機づけられていることになります。この場合、外在する報酬とは、生存や種の保存に直接的、間接的に結びつくものです。
さて、近代化が進むまで、第一次産業が「働く」行為の対象でした。それが、第二次産業、第三次産業と対象が広がりながら、またその中心が大きくシフトしています。それは、人間が「働く」という行為を自らが作り出した構造(産業という)によって創発していることを明らかにします。
私たちは働きながら働き方を変えているのです。(少しづつ、体力中心よりも知力中心に変わっているようです)
まとめると、人間にとって「働く」とは、限られた能力、体力への相対的な依存を小さくしながら、外在する報酬を最大化する行為なのではないでしょうか。
朝早くから「働く」
